社会人になりたての頃
給料安くても体力で楽しんでいた。
エネルギーに満ち満ちて、朝まで呑んでいた。
ある日の呑み会で、
先に外へ出た仲間が小さく叫ぶ。
「おい、みんな、まだ街は明るいぞ、もう一軒、飲みにイクベし!」
街の灯りは消えて、夜明け前の明るさだった。
みんなで笑って、それぞれの家路に。
翌日、それでもきっちり仕事した。
あの頃のランチ
四季を問わずの「冷やたぬきそば」大盛り。
つい先日、久し振りに行った
昔の様に言った。
「ひやだぬき大! お願いします」
紺屋町と旧町名葺出町を結ぶ、愛染横丁「北田屋」
「冷やたぬきそば・大盛り」
一緒の人は、迷い迷って「天丼」
美味しいと言って食べ始め、あらら写メ・・・逃したチャッターチャンス。
「ごめんなさい、美味しいくて~」
了解。
「冷やたぬきとやら、味見していいですか?」
と箸を構えて迫りくる。
「わあ~ 美味しい!」
「たぬき」がサクサクと次に細い蕎麦、「たぬき」の正体は小粒の揚げ玉。
だんだんと冷たい汁を適度に含んで、蕎麦と絡まり一層、美味しい。
そして、ちょっと溶けかけてくれば、より深く絡んで。
三段階の美味しさに、黙々とツルツルと顎も揺れて。
「あら、早い!」
あの頃、もっと早かった。
食べ終えて蕎麦湯を運んできた女将さん。
「久し振りです、いやあ雑誌出したんですよね、新聞で読みましたよ」
親方も来た。
「あの頃は、しょっちゅう来ていただいて」
十年振りに来たのは昨年のこと、その後また久し振り。
向かいの席で、天丼を平らげた人、
「北田屋さんは、いつからなんですか?」
そういえば、今まで何も知らずに食べてきた。
明治20年代、
岩手銀行赤レンガ館の向かいの辺りに、創業。
昭和になって、創業者の孫が紺屋町の北田屋紺屋町支店を開業。
そして、そこで修業した八重樫八重吉さん。
昭和15年に暖簾を譲り受け、今の盛岡信用金庫脇の路地に移転した。
目の前に立つのが、2代目、八重樫和夫さん。
そして昭和53年、「冷やたぬきそば」を始めた。
たいてい冷やたぬきそば、
それ以外は、カツ丼と蕎麦定食(色々と蕎麦を選べる)
真冬は、鍋焼きうどん。
若い頃、週に一度は自家製の蕎麦とうどんを食べに来た。
北田屋は、路地にある。
昔は、「愛染横丁」と言っていた路地。
東の方には、老舗の蕎麦屋「東家」が突当りに。
東屋に行く途中「愛染横丁」という人気の居酒屋もある。
爺は、路地が好き。
人の暮らしが根付き、昔ながらの店があり、車一台がせいぜいの路。
その日、小雨、傘がまたいい。
小雨の中を愛染横丁を歩く、とも千代姐さん
<「盛岡食いしん爺のもりおか自慢」より、写真・松本 伸 撮影協力・盛岡芸妓 とも千代姐さん>
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前は、朝顔が咲いていたっけ。
今は、どうだろう?