<音楽が出ます、音量に注意>

 「愛なんだ、玉置浩二&雅」

 

 

 

もうぐ六月、

早いもので夏至も近い。

北国盛岡、

三月下旬まで続いた凍てつく日々、二か月とちょと前の事だなんて嘘の様だ。

ご無沙汰の方へ手紙を書いていてひと息ついていると、

旧葺出町の閉店した「六分儀」で家具屋らの運び出しの情報。

手紙を途中で、散歩に。

なくなってしまった物を想い出しては、懐かしむ。

たまにいい人ぶって、そんな気分。

 

<旧葺出町の「六分儀」ホットサンド>

大好きだった。

特に、コンビーフとチーズがお気に入り。

誰かに再現して欲しい。

 

 

 

 

マンデリンとホットサンドの時間

美味しかった。

 

 

<今は、妙に奥まで広々としている「丸竹茶屋」の跡>

赤飯やら、餅などあの風情ある店構えと共に懐かしい。

 

 

 

ちょっと昼時のドライブの前に買い込んで、緑の中で食べた想い出

 

 

<八幡通りのど真ん中にあった「ごん八」>

終わりが近くなって女将さんから聞いた。

暖かい蕎麦とざる蕎麦などと麺の太さまで気を使っていた事。

知らなかった。

 

 

 

月見と掻き揚げの、トロ~リ具合にもこだわっていたっけ・・・

 

 

お祭りに出していた、親方の薄焼き。

生姜が効いて美味しかった。

親方に、「蕎麦より薄焼きばかり褒める」と言われた(笑)

蕎麦も美味しかったから通ったのです(笑)

 

 

<南大通りにあった「土鍋ご飯の店・花柚」>

とても美味しく通ったが、短くして閉店。

もう一度、食べたい。

 

 

 

 

「SPEAKLOW」

独特の雰囲気でゆっくりしたものだった。

JAZZを聴いているとその日の嫌な事も忘れた。

 

 

<これも、もう一度味わいたい「公会堂多賀の洋食」>

盛岡から老舗洋食店が消え、公会堂もなんか淋しげ。

 

 

<盛岡バスセンターは、昭和の象徴だった>

バスセンターの跡地から、岩手山が見える事が分かった。

 

 

あの昭和レトロは戻らない。

しかし、暮らす人たちは跡地「SIDE B」に集まる。

先週末もイベントがあり、大賑わい。

勿論、食いしん爺は、行って来た。

自分達で楽しい事を作り出す。

 

 

<あっという間に消えた「大たぬき」>

八幡を訪れる修学旅行生が歓声をあげる場所だった。

 

 

<国道106号線にあった「えびす亭」>

宮古方面から帰って来ると一息ついたものだ。

けれど、国道沿いに民家を使った小さなカフェが出来ていた。

いつか紹介しよう。

 

 

淋しそうな馬の親子

 

 

 

 

<失った仲間>

6月、一周忌。

癌と戦いながら育てた「命のりんご」

今年、早く咲いたりんごの花を空から見ただろうか。

 

 

街は生きている

期間の長短に関係なく続けていた店が閉まり、建物が消えるのも淋しい。。

しかし、盛岡の街が誕生して4世紀、時の流れと共に光景は変わり続けてきたのだ。

江戸、明治、大正、昭和そして平成。

また、年号も変わる。

茅葺、瓦の屋根がトタンに変わり、

木造が鉄筋コンクリートの時代となり、次々と高層化。

今や盛岡にも20階を超えるマリオスや高層マンション。

街は変わっていく。

そして、新しい物も生まれている。

景観も人の暮らしが変わっても、この街を愛する心が街の空気も、

店の雰囲気も創るんだと想う。

 

 

<それから、なくしたもの食いしん爺の青春(笑)>

今月末のプチクラス会、ちよっと青春に戻れるかなあ~

 

いやいや、まだまだ!

一昨年に2回行った八方尾根、盛岡~白馬・2回とも弾丸トレッキング(八方池まで) 日帰りです!

あの時、山で何を想っていたか?

もう、忘れた(笑)

 

 

あの時、岩手山の頂上(2038)より高い場所まで登り、白馬三山の方を眺め、

「さて、これからどうしようか?」

と想っただけ。

自然だけは、変わって欲しくない。