盛岡の蕎麦屋の名店の一つ 「そば喰い処 やまや」
<真摯な姿勢でそばを打つ親方>
三種の蕎麦を一度に食べれる「韃靼(だったん)」「挽きぐるみ」「更科」
ルチンいっぱいの「韃靼(だったん)」、蕎麦らしい風味豊かな「挽きぐるみ」
そして繊細で気品ある「更科」がテーブルに並ぶ。う~ん贅沢。
硝子越しで、親方の蕎麦打ちを撮る(昨年の秋の撮影)
<撮影・松本 伸「盛岡食いしん爺のもりおかじまん」より>(無断転載禁止です)
今まで、どのくらいの蕎麦を打ってきたのだろう。
研ぎ澄まされた職人の表情と蕎麦の香り。
ついつい、見入ってしまう。
<盛岡は、麺の街 豊かな麺文化>
有名なのは、歴史のある「わんこ蕎麦」
そして盛岡冷麺、じゃじゃ麺、そのほか美味しいラーメン、パスタの店も沢山。
でも、蕎麦から入って欲しいと思っちゃいます(笑)
盛岡食いしん爺の大好きな「更科」
細く、蕎麦の実の一部しか使わない。
爺は、しばらくタレにつけずに風味と喉越しをたっぷり味わってから、
いよいよタレに浸けて食べる。
<昨年の取材でのこと>
無類の蕎麦好きで、毎日でもOKと自負する松本カメラマンが言った。
「蕎麦は、手間がかかる。「やまや」はとても美味しくてこの値段は、信じられない」
と話していたのが印象的だった。
小学生の頃、
小高い丘の麓から中腹にかけて三段に並ぶ住宅の一番上に住んでいた。
街を見下ろせる高さだ。
その家に母が、出前を頼んだことがある。
庭の先から、階段の登り口を見ていた。
しばらくして、自転車を途中で降り、
銀色の箱を身体から離すように持ち、階段を駆け登って来る出前のお兄さん。
息を切らして汗だく。
懸命に届けてくれたものの、汁は少なくなり、蕎麦の弾力は失われていた。
載った天婦羅は、蕎麦にだらしなく、もたれかかっていた。
でも、少し濃くなった汁。でも、その出前の蕎麦は、美味しかった。
翌年、初めて蕎麦屋さんに連れられて行った時の天婦羅のサクサク。
大きくなって母から聞かされた。
食いしん坊の短く持った割り箸の手が止まり、母を見てニコリとしたらしい。
普段、母が作る蕎麦は、ビニールの袋に入っていたような、あるいは乾麺だったような?
定かではない。
<先月に行った時も三種の蕎麦>
「ゲソてん」は、欠かさない。
薬味に、大根の粗おろし。
誰と一緒でも黙々と食べる。
なるべく、並ぶ時間帯を外す。周りのお客さんの蕎麦をチラ見。
気になるのは「かけカレー蕎麦」
しかし、いつも口から出るのは
「三種の蕎麦をお願いします」
親方は、蕎麦打ちの講師を引受けたり、蕎麦の栄養価を書いた張り紙を作ったりする。
蕎麦を食べて欲しいという一念。
しかし、大正から続くってことは、並大抵の事じゃない。
<宮沢賢治の詩碑と清水>
「やまや」の裏、駐車場の一角に残る井戸がある。
その辺りに宮沢賢治が下宿していた。当時の水脈から掘った井戸だ。
やまやでは今も使っており、地元の人達が持ち主の協力もあり井戸を保存している。
<賢治の井戸>
大正時代の「やまや」創業時の蕎麦はどんな味だっだのだろう。
きっと麺好きの盛岡の人は、
こぞって季節に関係なく、蕎麦を楽しんでいたに違いない。