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茶廊「車門」
明治時代に建てられた蔵で、創業は昭和20年代と聞いた。
写真の隣には、当時のハイカラ・モダンな洋装店があったらしい。
この落ち着いた中で、一人の時は一階。何故か誰かと逢う時は二階。
ランチの時間iには、「ハヤシビーフ」
食べながら、時々、
東京の日比谷公園の「松本楼」の「オムライスのハヤシソースがけ」の舌触りを想い出す。
とろりとしたビーフのルーをたっぷり卵ののっかったライスに絡めて満足する。
とっても美味しい。
一緒に仕事した仲間とランチしに2階に来ていた頃
季節に一度ぐらい。
近況を聞いている一時間はとても早く過ぎる。「もっと話していたい」ぐらいが丁度いい。
でも、近頃は、ご無沙汰。
あの頃、階段を上がって来る姿が逢うたびに素敵になっていった。
それを見るのも楽しみだった。
そう言えば、お互い食べ始めるとスプーンが止まらず、その時間だけ話は途切れた。
食べた後は、今日も深煎りの珈琲を楽しむひと時。
満足して外へ。
この辺りは、古い町並で大好きな処の一つ、昔は生姜町と呼ばれていた。
東には八幡町と続き、その先に盛岡八幡宮の朱の大鳥居が見える。
歩いていて、会釈はしたものの、すれ違った人の名前が想い出せない。
想えば、色々な人と出逢いがあり、そして繋がりが薄れていく人達。
幼稚園、小学校時代によく遊んだ友達、
中学に一緒に通った同級生は、今、どうしているのだろう。
社会人となると、同じ目的に向かって仕事する仲間達も次々と入れ替わる。
各々が違うセクションや立場になり、会う機会が減っていく。
毎日の様に顔を合わせていても季節に一度となり、年単位になっていく。
二、三年があっという間に過ぎる。
ある先輩が話していた。
「人にしてやった」と想う事は自分の勝手な想い。たいていの場合、人への感謝の想いは、どんどん色褪せていく。
「だからね、人に、してあげた事は忘れなさい。逆に、してもらった事への感謝を忘れない様に生きなさい」
昔の事。ある後輩が酔っ払い気味で、食ってかかってきた。
軽い口論。そして、
「少しは教えてもらい感謝していますが・・・」と言われた事があった。
その時の状況は、別の仲間に手がかかっていたことへの軽い嫉妬もあったかもしれない。
でも、当時の自分は「心配し、あれほど一生懸命に面倒見たのに」
と憤り、切なさを隠しつつ、眼をそらし、偽りの微笑みでグラスを傾けていた。
もし、時間を遡れたとしても、
あまり若い時代に戻りたいとは思はない。
ひと言で傷つき、自分を見る目が曇ってしまう時代には戻りたくはない。
美味しく懐かしい味のハヤシビーフと食後の深煎りの珈琲で、後味もすっきり。
さて、今日もアメショウ君は待っていてくれる。
急ぎ足で帰ろう。