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黒澤明氏が助監督時代、盛岡に滞在したことがある。

もう70数年以上前のことで、映画「馬」(昭和16年公開)の撮影に来た。

主演の農家の少女、小野田いねのは、高峰秀子が演じた。

その映画に盛岡の馬検場が出てくる。

 

当時の話を長老に聞いた。

 セリが始まり、馬検場を回り出す。威勢のいい声がかかり、200円、300円と値段は上がりる。「軍馬御用!」と声がかかると会場がどよめき一気に値は上がり、500円を超える。こうして立派な馬は、旧日本軍の軍馬となった。

 馬主は、当時の大金を手にするが、馬検場のそばには幡街と呼ばれていた盛岡の花街の八幡の町があった。つい一晩、遊び惚けてしまい大金を使う人もいて、当日の現金渡しを延ばしたそうだ。

 

 

馬検場のそばに、馬の親子の像があり、

いつも何気なく通り過ぎるが、その日、仔馬のあどけない瞳に微かな憂いを見た。

雪が降っていれば冷たく溶けた雫が眼をつたい、涙に見えただろう。

 

 

誰もいなかったが、少し積もった雪に一つ二つ足跡が残こる。

やはり、外にも気になった人がいるのだろう。

 

昭和の名残が、明日にでも、また一つ消えるそうだ。

 

 

 

 

当時の馬の尊さを象徴するような、堂々した看板

 

 

 

 数年前、盛岡の歴史を調べていた時に映画「馬」のビデオを見た。

 

 盛岡の近在の農家の娘「いね」(高峰秀子)の家でも馬を買って育てていたが病気で死んでしまい借金だけが残った。父は、迷いつつも仔馬が生まれたら貰えるので、妊娠した馬を預かること決める。

 厳冬の中、懸命に育て始める。

 そんなおり、ある祝宴の晩、酒に酔い馬車の下敷きになり大怪我をしてしまう。

 冬を越え春が来た。父に代わり、いねが必死で面倒をみてきた馬がついに美しい仔馬を産んだ。しかし、夏のさんさ踊りの頃、借金のために仔馬を売ることになる。

 悲しみ嘆く母馬。

 いねも泣き崩れるが女工として働きに出て、仔馬を買い戻そうと決心する。

 一年が過ぎ、成長した仔馬と再会すると、いねを見るなり鼻を摺り寄せてきた。

 

 そうして、いねが育てた馬は、馬検場でセリにかけられる時がきた。美しい馬に「軍馬御用」と声がかかり、550円の値に場内がどよめく。

 馬と別れの時、村人も総出で見送る。

 いねは、遠ざかる馬を峠から見送る。いつまでも。

 

 

 この映画の監督が忙しくてロケは実質的に黒澤助監督が代行した。重要なせりのシーンを撮るため当時の小田島旅館に滞在し、馬検場で撮影した。

 盛岡の映画館で黒澤と一緒に高峰を連れて映画を見た話や山形でのロケの期間が長く、高峰秀子に恋をした少年が後に「ケーシー高峰」と名のったことなどのエピソードがある。

 そして、お盆の頃の「さんさ踊り」のシーンも印象に残っている。

 

 陽月で、たまに作る懐かしいお菓子

 家に着くと八幡通りの「ぶちょうほう饅頭」の陽月で買っておいたお菓子を広げた。親方は、クリスマスにロールケーキなど、たまに饅頭以外の物を作る。たぶん、老舗の店で修業した頃のことを想い出しては手が動くのだと思っている。

 

 

近頃は、あまり見かけないが、素朴で懐かしい味。

 

 

 

岩手片富士と銘打たれた饅頭は、何故かチョコレートに包まれ、

甘すぎず、ふんわりとして美味しかった。

 

 

 

 口の中から懐かしい味わいは、冷えた心も包み込む。

 近頃、親方も疲れるようで、店が開くのは不定期だ。この味は、どう伝承されるのだろう。それとも消えてしまうのだろうか。

 

暮らす人が創る街は、常に呼吸している

 

 あちこちで、新しい建物ができ、一方、またひとつ盛岡の昭和が消える。

建物が華やかな頃の様子を知らない。だからこそ四方山の話を長老から聴き、古い家に残る写真などを見せてもらい、しっかり記憶しておきたい。

 阪神淡路、三陸、熊本などの大震災もそうたが、人の身体が遺伝子を引き継ぐように、「悲惨な記憶「」や「懐かしい光景と味」などもしっかり受け継いでいきたい。

 

 あれれ、気がつけば、ついつい食べ過ぎの食いしん爺でした。

 

 

 

 

 

 

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