<音楽がでます、音量に注意>
この冬、最強の寒波が来襲。
3月の2日まで氷点下10度前後の日が続いた。
待ちかねた春の風、陽射しは、ほのぼのとして。
路地の雪が固まった氷塊も消え、あの光景は嘘のよう。
あまりに急な春の訪れに戸惑いすら。
そんなある日、ホットライン肴町で用事を済ました昼下がり。
「そうだ、ランチは㐂作で」
「じゃじゃ麺を食べてからのチータン」
初めての出逢いは元祖「白龍」
友達に連れられ、並んだ。
みんな大盛りを頼むので、従った。
テーブルに置かれた皿に「うどんと肉味噌」
友達は、摺りおろしニンニクをたっぷり、次に掻き回す。
「二日酔いをぶっ飛ばすんだ!」と笑う体育会系。
掻き回しつつ味を想像できない。
ひと口食べ、大盛りを後悔。
自分にとって料理を残すのは、人生の汚点(笑) 中々、出来ない。
刻まれたキュウリとネギが、救いだった。
なんとか完食。気の進まない頼まれごとを果たした感じ。
「二度とお目にかかることは、ないだろう」と想った。
長い年月の後、
ある女性達と呑んだ後、じゃじゃ麺で、〆ることになり、足取り重くついて行った。
「あら、小なの?」
「今日は、小で十分」
「小食なんだあ~、ガンガン豪快に食べる人が好きなんだけど」
とがっかり顔。
ところが箸を付けるとあっという間に完食。濃厚な肉みそは味わい深く、病みつきになる味。
たいて一度では分からない味だと想う。
美味しい。
そして、小のお代わりを頼んだ。
それが、「㐂作」でのこと。
第一印象は大事だが決めつけてはいけない。
チータンも美味しく、味噌の味は、スープにするとまた違う。
実は、かなり工夫された食べ物なのだと想う。
人の出逢いだって同じかも
「じやじゃ麺」の一言、うんちく
聞くところによると中国の北東の地域、当時の満州に渡った人達が終戦後、盛岡界隈の人に合う味を模索。独自の「じゃじゃ麺」が誕生。
うどんの様で少し違う麺に独自の味噌。
キュウリ、ネギを載せニンニク、すりおろし生姜に紅生姜、人によっては酢。
チータン
食後、卵を割って掻き回し、スープを注いでもらい自分で味噌などを調合。
これが、「チータン」
独自の麺文化
盛岡冷麺も海を挟んで隣国の食文化を盛岡の風土にあう食べ物に作り上げた。
盛岡の人は、美味しい麺に目がない。
㐂作では、「赤じゃじゃ」もあり、寒い冬には芯から温まる。
戦前、若い人達が、希望を抱いて海を渡り、広大な大地と格闘した。戦後、なんとか無事に帰れた人達は、何を想ったのだろう。
いつも、犠牲になるのは民衆だ。
今では公文書を改ざんしたりと結局、偽りに染まる国会議事堂の世界。
もうだいぶ前に逝った父のベッドの傍らにあった大きく厚い地図帳。
満州の辺りを何度も開いていた跡がくっきり。
詳しいことは話さなかったが、頭に浮かぶのは吹雪の大地。
空も雪も濃い鉛色の世界を脚を引きづる様に歩く、果てしない長い列。
「盛岡冷麺」や「じゃじゃ麺」には、
深くて濃い、色々な味わいがあるのだと想う。
さて、
今日も美味しくチータン(鶏の卵という意味らしい)まで、完食。