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3月上旬のある夜。

交通量の多い、片側2車線の道を走っていた。

国道4号線との大きな交差点に近づき

減速しだした時、先に見えた塊。

追い越し車線の真ん中に横たわる猫。

うずくまっていて、顔は見えない。

 

信号待の間

「死んでいたのか。いや、まだ呼吸をしているかもしれない」

道を引き返した。

そろそろだ。

目を凝らし、できるだけ、ゆっくり走る。

車のライトに映し出された薄茶の猫が見えた。

停まろかどうか、迷っていると

後続の車からパッシング。

溜息とともに、アクセルを踏み込んだ。

 

大きな交差点を過ぎた時には

戻る気持ちも萎んでしまった。

 

駐車場で、煙草に火を点け座席にもたれた。

小さな命が呼吸していたら。

何も、しなかった自分の不甲斐なさ。

フロントガラス越しの街灯が、無数の光線を放って見えた。

 

北陸で、

猫と共に暮らす人を思い出した。

 

出会いは路上の上。

ひどい怪我をして、息も絶え絶えだった猫。

 

その人は、迷うことなく猫を病院に運んだ。

ひと月ほどで回復した。

 

目と耳が、片方だけしか機能しない。

月に一度、精密な検査が必要で、いつ何が起きても不思議ではない状態。

覚悟はしているそうだ。

その黒猫は、2年ほど楽しく暮らしいている。

 

翌日は、休日で朝のラッシュはない。

せめて、見届けようと出かけたが、

まるで幻を見たかの様に、早朝のアスファルトには何の痕跡も無かった。

 

気がつけば、やたらいい天気で、

空は、どこまでも蒼かった。

 

 

誰にも話す気になれなかった。

2週間ほど過ぎ、猫を飼うブロ友さんに思い切って伝えた。

「誰かが助けてくれて、きっと、どこかで生きている。そう思いましょう」

丁寧な返事に救われた。

 

450グラムの猫君と暮らしてから、

折に触れ「命」を想う。

 

 

人は、食物連鎖の頂点にいる。

さて、今夜も、冷麺と焼肉を食べに行く。

勿論、感謝の想いは忘れない。

生きていくとは「命」をいただく事だと実感する。