<音楽が出ます、音量に注意>
昨年の春、
たまたま、北上川沿いの桜の名所、展勝地を訪ねた。
桜のトンネルの中で一際、黒山の人だかり。
何だろう?
チラッと見えたのは、なんと「花魁」
桜をも、ただの背景に従えて艶やかな姿。
「おいらん道中」
<花魁と言う漢字が、はまりすぎ>
江戸時代、南部藩と仙台藩の境にあった北上市、
その中心部の黒沢尻地区。
奥州街道の宿場町であり、北上川の河の港の町だった。
黒沢尻辺りでは、
北上川は、大河となり、川底も深い、
船の規模も大きくなって、
活躍した「ひらた船」は、帆を張り川を遡った。
しかし、風のない時は、大変だった様だ。川の水が増水したりすれば、
命を賭けた危険な仕事だった。
黒沢尻は、物資の中継基地で盛岡など上流からの米などが
ひらた船に積み替えられて石巻とを往復。
馬市も明治に開かれ、
馬は、黒沢尻からも次々に船に乗ったのだろう。
河港として黒沢尻は、大いに賑わっていた。
明治には、「寿座」が開業し、
芝居や演芸などが盛んに上演され、戦前まで賑わっていた。
戦後は、全国的な流れと同じくして衰退し、
平成に入って解体を余儀なくされた。
しかし、橋本稲荷宵宮祭で毎年、7月に上演されていた歌舞伎が復活する。
黒沢尻歌舞伎保存会が出来た。
その後、フランス、ドイツで公演するまでになり、今に至る。
平成18年には、高橋会長の発案で「こども歌舞伎」も始まった。
<秋田で開催された国民文化祭にも出演>
色々な出し物に取り組んできた。
そして、高橋会長らが展勝地の桜に合わせて始めた
「おいらん道中」
今、花魁は、4会場で練り歩く。
地元の暮らしを楽しもうと催事を始め、実現する人々の力。
庶民の手による文化創造。
展勝地の桜が良く似合う「おいらん道中」
桜舞う中、綺麗で怪しく
始めた頃は、
北上に花魁はいなかったなどとの声も、
しかし、
「おいらんは、歌舞伎の出し物、それを練り歩き、皆で楽しむんですよ」
と橋本かつら店の高橋さんは笑う。
今では、展勝地、桜絵巻は、春の風物詩
いよいよ、今年も桜の季節。
美しく、怪しく、絢爛に
桜の花を従えて、練り歩く。
実は、20キロの衣装を着て、
30センチの高下駄を履いての練り歩く、
しかも踊る様に。
北上の帰りには、
トロイカでロシア料理、フェアリーテールでチーズケーキか、
はたまたかけたのから揚げか・・・・
おいらん道中と桜の花は、もうすぐ。
4月23日の日曜日、
盛岡食いしん爺は、晴れ男!