<音楽が出ます、音量に注意>
現実からの逃避?
ゆっくりしたい、しかし、
遠出して泊まるほど、近頃、時間のゆとりがない。
でも、出かけたい想いを抑えきれない。
現実から逃げ出す事も、たまには必要だなんて、都合のいい理屈。
明日は、午後から空いている。日帰りで近くなら。
近いと言えば繋温泉。
昔、忘年会と言えば、繋だった。
温泉街の奥にある「四季亭」に電話してみた。
4時から9時まで部屋を借り、夕飯を食べれる。
<心に染みた湯葉包み 「弥生鍋臘月>
たった20分ほどのドライブ
翌日、
盛岡の奥座敷、繋温泉の「四季亭」へ。
まだ、神経はビジネスモード。
ラッシュ前の夕顔瀬橋を渡れば、車で、せいぜい20分。
ドライブ感もないまま、到着。
まずは、部屋で一息、ごろり。
雪景色を眺めていると、じわりと遠出気分になって来た。
お茶とオリジナルのお菓子を食べ、また、ごろり。
浴衣に着替えて泊まり気分で風呂に。
かけ流しの湯が、よく肌に絡む。
湯加減も良く、ゆっくり浸りたくなる。
たいてい、露天風呂の印象で、リピートが決まる。
灯りがお湯に映りだせば、ちょっとした旅気分。
ゆっくりと流れる時間。
欲しかった雰囲気に浸っていると、
もう、盛岡の街は彼方。
部屋に戻り、腕枕。
何も考えずにはいられない性分。いつからか、頭の中を無にする事を止めた。
過去を気ままに遡る。
宮城にある蔵の中の大きな檜風呂、北陸の露天風呂が幾つも川沿いに並ぶ宿・・・・
誰かの顔が浮かぶ前に、眠りに墜ちた。
夕食は、6時に。
久し振りの早い時間帯。
子供の頃の一家団欒の始まりの時。
いよいよ、夕飯
先付けには、河豚の七味焼きも。
わらび、フキ、うるいのお浸し。「美味しい」予感に心も踊る。
お造りも美味しく。
帆立貝のコキール。
黒毛和牛の温泉蒸し
黒毛和牛の脂は、
適度に残り、柔らかい。
噛むほどに旨味が、幸せと相まって口の中。
ポン酢系がピタリと嵌った。
近頃、あまり、超霜降りには眼がいかない。
弥生鍋臘月
続いて、とても美味しかった鍋。
ひと煮立ち、いい匂い。
たまらず、包んだ湯葉を割く。
白魚が敷いてあり、蒸し雲丹、蛤、小海老などや菊の花、
それに旨味を吸った小さな薄餅まで。
色々混じっているのは、苦手だが、一つ一つが湯葉の中で上品に纏まる。
美味しい!
火が燃え尽きるのを待ち、スープを飲み干した。
料理の出汁が良い、
と思ったら、
枕崎産の鰹本節、山田の飛魚や三陸の昆布など、
厳選していると、お品書き。
やはり、美味しい料理の基本は出汁なのか。
デザートは、盛岡林檎のコンポート、苺、バニラアイス。
満たされて部屋に戻り、行儀悪くゴロリ。浮かぶ両親の顔。
父と母の旅
昔の父の口癖、
「暇になったら、必ず母さんと2人、世界中を巡る」
退職後、2年が過ぎ、ようやく京都、奈良へ。
一週間は戻らないはずが、3日目の朝に帰って来た。
不機嫌な母、土産話の一つも無い。
数日後、話し出すほどに怒りが蘇る母の顔。
聞けば、宿も行き当たり。受験で宿は混んでいた。
結局、京都駅で一夜を過す羽目になり、母は、怒って帰ると言い放つ。
ただでさえ我儘な母、言ったが最期、収まるはずが無い。
父は、帰りの列車で母に言ったそうだ。
「子供達には言うな」
温泉に浸り、「近くても旅気分」
想えば、あの時、既に発病していた事になる。
それから1年ほど、
母は、一人、旅立った。
追いかける様に入院した父の長い闘病生活。
父の小さな書棚には、今も一列に並ぶ、世界地図と旅。
いい湯加減。
「いつでも来れる、出来る」と思ってしまえば、一歩が踏み出せない。
忘れ物
明るくて良くしてくれた仲居さんは、まだ、一年。
「今度は、泊まりに来てください」
「近すぎてね」
「けっこう、盛岡からでも、泊って行かれますよ」
と、無機質じゃない笑顔。
「いずれ、また来ます」に嘘は無い。
翌日、携帯の充電器を忘れた事に気づいた。
それと、何かを忘れて来た気がする。
黒い手帳を開き、次の目星を付けている。