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東京には、よく行くが新宿東口を歩くことはなかった。
仕事では霞が関から日本橋界隈、せいぜい帰り、有楽町、新橋辺りで一息つく。新宿駅に何度か降りたが西口、副都心。
オフで行っても神楽坂、人形町、上野界隈など江戸情緒を訪ね歩く。
それは昔々の学生時代、週の半分は新宿に行った。
買い物、呑み、デート、日曜は歩行者天国の人の流れを彷徨った。学生運動の騒乱は知らないが市ヶ谷、飯田橋辺りでは、まだくすぶっていた。
当時の新宿東口と言えばタカノ、紀伊國屋、伊勢丹と三越、そして歌舞伎町。
西口のションベン横丁で呑み、東口に通じる天井の低いコンクリートの通路を抜けて歌舞伎町へ。新宿コマの辺りまで飲み歩いていた。
あの頃、みんな傷つきやすく、ちょっとした事で口論になった。
でも時代は、思想・闘争よりも自分、つまり恋、旅、日常の出来事と他愛の無い話。だのに何を言い争っていたのだろう。
遊び仲間は大学は別々でも高校の同級生が多かった。
二十歳の冬、ある仲間のスタイルを真似て真っ赤なタートルにブルージーンで歩行者天国を歩く。時々、被ると185センチの僕より2センチ高い彼に、身長以外も負けたと思ったものだ。
昨年、その長身のカッコよかった彼の訃報。
新宿の街のネオンも、なんか綺麗に見えた。
変わっていない伊勢丹の外観。
1月末に4、5日、この新宿東口で仕事をした。
今は、裏通りも綺麗で生ごみ、煙草の吸殻の散乱も少ない。朝も新聞紙が風に舞ってはいたが、昔とは雲泥の差比。
危険な路地裏の混沌とした世界は、影を潜めている様だ。でも、きっと新宿の危険な香りは流れて何処かに辿り着き、路地裏を漂っているに違いない。
それが、良くも悪くも東京。
この街で青春を過ごした。
色々な種族が群れ、独特の雰囲気が漂う眠らない街。終電に遅れては煙草の煙で溢れた深夜喫茶で始発を待つ。
西口のデパートの屋上のビアガーデンでバイトもした。
終わりの日、先輩達のおごりで明け方まで呑む。始発に向かう道で彼らが話していた。
「あいつ、近頃出て来ないけど、大丈夫かな」
「絵描き志望の美大生の彼だろ、どうも肺の具合がよくないらしいよ」
みんな、夢を追いかけていた。
4年生になって間もない頃、夜が明け、友達と欠伸をしながら駅に向かう。
早朝から新宿駅の中をネクタイ族が足早に歩いている。次の春には自分達も、あんな風になるのだろうか、夢を持っていなかった僕らは、煙草をアスファルトに捩じり消す。
そんな暮らしの終わりが近いことを実感していた。
街を歩くたびに蘇る記憶。
新宿(ジュク)は懐かし過ぎる。
盛岡に帰ると、往復はがきが届いていた。
久し振りの高校の同級会。まだ冬なのに、7月の案内だった。