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一関まで出かけて来た帰り、もう夕暮れ。
その日は、今年一番の寒波が来ていた。車の温度計は、すでに氷点下7度。
八幡宮に急ぐと、もう裸参りの最後尾が朱の鳥居をくぐりぬけていた。盛岡八幡宮のどんと祭と裸参りは、とても雰囲気があり、つい見入ってしまう。
厳寒の中を一歩一歩進む男達。
昨年、この行列を横断しようとした女性を見かけた。
渡り切りかけたその時、行列に付く男衆が抱え込んで止め、後戻させる。
「横断しては、ダメなんだですよ」と微笑んで戻す。
渡ってはいけない昔からの仕来たり。横切る事は、無病息災、五穀豊穣などの願掛けが途切れるとされている。厄年の人は厄払い。
もう少しで本殿前、
心配そうに見つめる女性がいた。
視線は一人の男の人に。
また、白い息を吐きながら、母と子で父を見守る家族もいた。
四季折々の催事の中で子供達も育っていく。
どんと祭、はだか参りと宮城、岩手の風習。無病息災などを祈願する様々な行事もこの地方の文化。文化は日々の暮らしに根差したもの。
氷点下の中で頑張る父の姿は、さぞ逞しく、凛々しく。その姿は、子供たちの眼差しに焼き付くことだろう。
時を経て、大人になり、秋祭りの山車や夏のさんさ踊りに参加している姿をみたい。盛岡を出て行ったとしても父の姿や祭りのお囃子を懐かしむ時がくるだろう。
口に挟んだ紙を外して安堵の笑顔の父を子供たちの瞳は逃さない。家族の吐く息が、ひと際、長く伸びた。
毎年、元朝参りから二十万人を超える人での盛岡八幡宮界隈の賑わいも今日で一段落。次は、節分だろうか。
昼頃は、正月のお飾りが無病息災の願いと共に、数メートルの炎になって立ち昇る。
陽が落ちた頃には炎も低いが、宵の中の輝きもいいものだ。
氷点下5、6度を下回ると片栗粉の上を歩いている様な感触になる。
盛岡の冬は、寒い。だからこそ冬の催事や体の温まる美味しい物が沢山あるのだと思う。
でも、今回の寒波は凍てつく。そんな中の裸参りだった。
繰り返され、脈々と続く盛岡の風物詩。
澄み渡った冷気の中、キュッキュッと雪が鳴く。
爺は、手袋をしてマフラーを巻きなおして家路を急ぐ。寒い~
八幡の通りの、何処かでほっこりして行くとしよう。