<音楽が出ます。音量に注意>
埼玉に行った人が、本当に久し振りに盛岡にやって来た。
その人から、人を介して頂いた。
紙袋から出てきたのは、ずいぶんとシックな箱。
「黒糖バームクーヘン くろのき」とだけ書いてある。それを見て「中村屋」から自信ありというメッセージとみた。美味しい予感で箱を開ける。
現れた紙の包には、「黒糖 DOKORO 九六㊀八」と書いてある。「くろのき」ということの様だ。沖縄県産の黒砂糖使用とある。
バームクーヘンの例の年輪は、無い。
近頃は、「バウム」と記すものが多い。このスウィーツの由来は紀元前のギリシャ、中世のポーランド、ドイツのザクセンが、それぞれ元祖と言い合っていた時期があるという。とにかくオーストリア、ポーランド、ハンガリーからスゥエーデンまで色々な名を持つお菓子だ。木の棒に巻き付けて焼いたのが始まりとか。生地を巻いて焼いては、また生地を重ねて焼く。日本では大正時代の末期から昭和の初め頃から作られ、今ではドイツ菓子の代名詞だが、ネットによれば、意外にもドイツではさほどポピュラーでもないらしい。
とにかく沖縄の黒糖たっぷりとくれば、焦げ茶色の丸いお菓子は、白熱灯の光を受けていよいよ美味しそうに輝く。
さて、一口。見かけより、ずっとあっさりして心地良いしっとり感が舌に残る。
気がつけば、またナイフを入れている。二切れ目。沖縄の青い空の下、太陽を目いっぱい受けた背の高いサトウキビを日に焼けた人達が大鍋で煮詰めている光景が浮かぶ。まさに、サトウキビ畑の「ざわわ」の世界。
長い人生で、なんで関係が行き詰ったのか、後戻りが出来なかったのか。バウムじゃなくてバームクーヘンと書く世代には想いを言えずに後悔したことが一つや二つ、あるだろう。
人生も色々な想いを重ね、しっとりと黒く光るといい。
「嫌いになって離れるわけじゃない。」と過去の言葉が蘇る。そりゃあ、微かに心が揺れる。「元気ですとだけでも伝えれば、いや連絡先を聞けばよかった」のか。
でも、ほど良い甘さの黒糖が記憶をしっとりと巻き込んで喉を過ぎる。もう、戻っても何も無いことは、二人とも知っている。寒く長い夜の、ちよっと切なく甘いブルース。
ふいに「ニャア~」と傍に寄る。さて、そろそろ寝ようか、相棒。
やっぱり、もう一切れ。
う~ん、美味しい。とても心地よい甘さの余韻が舌に残った。
明日は、寝坊しよう。お休み。