山日和に身体が反応する
10月16日、晴れ。
街の街路樹の葉が朝の冷気で、精気を失い始めた。色づく兆候だ。すると、今が栗駒の紅葉。山々が紅く燃える風景が眼に浮かぶ。今日は、この秋、最上の山日和に心が揺れる。
発つ時間は、遅い、が決めるのは早い!
13時過ぎ、決めた。
盛岡から東北自動車道を南下、平泉インターを降り、中尊寺の麓を走る。観光客でごった返している。毛越寺の門を右手に見て、毘沙門天を祀る達谷窟(たっこくのいわや)を過ぎる。すぐ厳美渓に出る。この辺りは見所が多く、賑やかだ。
ここから、栗駒に向かって道なりに走る。
骨寺(ほねでら)村荘園を過ぎても栗駒からの帰りの車が連なる。8年前のこの辺りを襲った激しい地震で落ちた橋が、記憶を伝承しようと残されている。
急な登りに入る。九折の狭い道。3時も過ぎると流石に登る車は少ない。
右手は断崖。深い谷を挟んで向かいの山並みも美しいのだが、走行注意。まだ、車が連なって降りて来る。
須川温泉着。
栗駒山登山口、一関では、須川岳と呼ぶ。
いつも積んでいる靴に履き替え早速登る。今年の秋、初のトレッキングは好天。
須川温泉が登山道の出発点。硫黄の匂いが鼻を突くが、嫌いじゃない。
青空に、紅葉の黄色が綺麗だ。深く息を吸い込んだ。
紅く、つぶらな実を見つけた。
自然は、そのままで芸術、紅と黒のシルエット
なんてんは、渋いドレスを纏って太陽を名残惜しそうに浴びる。
ついつい、立ち止まるうちに追い越された。この時間に登る人は、数組。
白樺かダケカンバ。雪のせいだろう。冬の厳しさを生き抜く術は、逆らわずに曲がる事。
また、立ち止まり、しばし眺める、東北の方向。北上盆地は彼方。
名残ヶ原湿原を歩くうちに暮れてきた。いよいよも空と山と紅葉のドラマの始まり。
この辺りのススキは、棒状だ。風の抵抗を避け、揺らいで飛ばされないように。それが自然。
傾いた陽光に、山と空が織りなす、この一秒、一秒ごとの芸術。
母さんが見た紅の河
母さんは、「須川のお湯はいいし、何といっても、あの山の紅葉は、紅い川の様に見える。」と話していた。好きでよく来ていたのは、この辺りかもしれない。
燃える紅の河だ。栗駒の紅葉の主役は紅なのだ。
「須川よいとこ 何処よと問えば 一関よりょ 西八里」
今も、母さんの唄声が耳に残っている。子供の頃、さほど上手いとは思わなかった。
雲も主人公になる。
本州一早い紅葉、日本一の紅葉と言われ、私は、「栗駒の紅」と呼ぼう。
沈みかける夕陽が、さらに鮮やかに山を照らす。
人は、積まれた一欠けらの石の様なものだ。
大地から突き上がった岩肌と雲の共演に立ち尽くすのみ。
突然のトレッキングにも耐えてくれる脚に感謝
日没前に戻る。着いた頃には混雑していた駐車場も流石に、かなり欠けている。
皆、日常に戻って行った。
昼過ぎに思い立ち、夕暮れの栗駒の1秒ごとに変わる人間が、というてい敵わない壮大な芸術を見た。1時間の荘厳なドラマに日常を忘れた。
靴を履き替え、一息ついていると陽が沈んだ。
「気をつけなさいよ!」と母さんの声か聞こえた。
「はい」と今日は、素直に呟いた。
帰り道で空腹を満たす。横手で十文字ラーメン「名代 三角そば」かんすいを使わずに独自の技法で極細麺。これが美味しい。
のっているメンマを更にトッピングして。メンマ好きには、たまらない。
チャーシューらしいチャーシュー。肉の味がしっかりして美味しい。
1.5杯分の極細麺は、みるみるうちに残り少なくなっていく。
あっさりしているのに、コクがある。そんな人間になりたい。
出かけようと思った時に、車を走らせる。これは、贅沢な事だ。でも、意外に思い立って出かけとみると無理をしなくても充分、日常を忘れ、乾いた心を潤すことができる。そして、美味しいものを食べる。
潤った心と美味しいものが疲れた身体を癒してくれる。肌に残る硫黄の匂いを風呂で洗い流し、目に焼き付けた「栗駒の紅」を想いながら、ゆっくり眠ろう。
母さんは、無事に帰ったことを確かめる。ちらりとこちらを見て笑う。
紅いドレスが証明に眩しい。
大好きなダンスだね。
微笑みを浮かべて決めた人の誘いの手を待っている。
「Will you Dance ?」
僕には、分かる。