もともとは、好きではなかった成吉思汗(ジンギスカン)
9月の半ば、東日本大震災の被災地、大槌の帰り道。鉛色の空から小雨が降る。心情も天候と被って湿るばかり。今夜は、盛岡を訪れる友人達を歓待しなくてはならない。落ち込んでは、いられない。約束は6時。遠野から盛岡までは1時間半ほど。まだ時間は、たっぷりある。遠野で遅いランチにしよう。迷わない。「ジンギスカン(成吉思汗)」 「あんべ」だ。
盛岡食いしん爺は、遠野で「あんべ」ファンになった。苦手という人も一切れ口に入れた後、バクバク食べ始めた現場を2度、目撃した。
この鉄鍋。これを見て岩手の多くの人は、ジンギスカンとピンとくるだろう。
鍋は、堂々として鍋界の王道を行く 鋳物の鍋
元祖「あんべ」のジンギスカン鍋は、兜を少し平たくしたと思えばいい。この曲線上で焼く。
今日も、あっちの鍋、こっちの鍋といい音を出し賑やかだ。
横から見ると。この、てっぺんの盛りあがり。
まず、脂身を全体に焼きつつ塗る。、てっぺんに乗せてる。溶けて下に流れ落ちる。
脂が焦げるいい匂い。もう、ここで、ご飯が欲しい。
ラム肉は、綺麗で見るからに美味しそうだ。
この焼け始めの匂い。口の中にジワ~と広がる唾液。胃も動く。
次々に肉を載せ、焼けたらタレにつけて噛む。「うんうん」と頷く。
ジンギスカンは、てっきり全国区だと思っていたが、県外の知人達の話を聞いて驚いた。そもそも北海道、長野や岩手で盛んだったが、一時期、だいぶ下火になったらしい。数年前から、色々と身体に優しい肉だと話題になり、遠野や岩手では、専門店も何軒か開店した。
子供の頃、父がジンギスカンの鍋を抱えて帰って来た。見慣れない母は、裏返しで使おうとして父が大袈裟に笑った。初のジンギスカンに期待したが、特に、ご飯が進むわけでもなかった。後で知ったが、羊の肉が身体に良いと聞き、母のために鍋を買ったのだ。
その後、爺は、長いこと忘れていたが、震災から1年半ほど後の被災地からの帰り、夕暮れの遠野を通った時だった。
「わたしね、ジンギスカンって苦手だった。それが、食べれたの。今じゃ大好き。だけど行く店は限られてる。ねぇ、行こう。それとビール。運転、お疲れ様!」
ビールは仕方ないとして、それほどなら思った。その人とは嗜好が似て、まだズレがない。ジンギスカンとは意外だった。ついに? という興味もあった。それが遠野ジンギスカンとの出会いだった。
子供の頃の記憶とは違い、柔らかく臭みなど無い。味わい深く、とても美味しかった。
また、ズレなかった。
いい匂いだ、
ジュージューと、いい音だ。
味わい深く、美味しい!
このタレが曲者。
肉の旨味をグ~ンと引き出す。
ジンギスカンでタレは蕎麦と同じく、かなりのウェイトを占める。
食いしん爺の流儀
〆に鍋の淵に溜まった脂で残しておいたモヤシを焼く。サクサクとして美味しい。これが食いしん爺流。モヤシの一本も残さず、完食。満足。テンション急上昇。
しまった! 夜は、鮨だった。せめてご飯を抜きに、いや、ご飯は必要なのだ。
夕方、家に帰るとルハン君の出迎え。暗い部屋のドアの小窓からこちらを見ている。ちょっと撫でて、出かける仕度。
ルハン君も、1才と10か月。飛び跳ねるルハン君を見て草原の羊の群れの子羊が浮かぶ。ラムは子羊の肉だ。小さな命を喰らう。子羊なりに感情があると思うと心に引っかかる。ルハン君と暮らす前は、考え無かったことだ。
食物連鎖の頂点に立つ人は、感謝を忘れてはいけない。だから世界中で感謝祭が行われている。
さりとて、肉は大好物。戸惑ったら命に感謝し残すことなく、全て、美味しく頂こう。人は弱くもあり、タフな生き物。
また出かけるからね。留守を頼むよ「ルハン君」
美味しい鮨を囲みながら、その話をしてみた。輪の中に一組だけ夫婦がいて奥さんが、
「やだわ、明日ね二人で遠野に行くのよ。むり、もうわたし食べれない~」
「すみません。まあ今夜は、美味しい鮨をガッツリ食べましょう!」と爺は、大きな声の作り笑い。皆も笑ってくれた。
明日、奥さんは遠野で「美味しい!」と言いながら、ニコニコして熱い鉄鍋にラム肉を焼いているに違いない。でも、それでいいのだと思う。
爺は、いつもより、ゆっくり鮨を口に運ぶ。遅めの満腹ランチと子羊への想いが、まだ、消化しきれていない。