盛岡は八幡の空は広い。
どこまでも広い青い空と雲を見ていると、なんだか心も落ち着いてくる。
近頃の食いしん爺は、食べ物以外でも「きになりだす」と「きになる」ことが幾つかある。
夕暮れ時の八幡の一直線の通り。どこまでもくっきり見える。いいね~
つい先日、綺麗に整備されたこの道を例大祭の山車、神輿が練り歩いた。
昼も夜も多くの人が行き交った。でも、何も無い時は見通しが良すぎて、ちよっと淋しい。
ところが一歩路地に入ると「空」は、こうだ。
本町界隈の空は、こうだ。
よくもまあ間違わず、複雑に張り巡らしたものだ。ある意味日本は凄い。
食いしん爺の「きになりだす」と「きになる。」事の一つは、この「電柱と電線」だ。
青空に物凄い数の黒い線。まるで、女心の様に複雑だ。(笑)
曇り空でも、このとおり。空を黒い線が張り巡らしている。
爺は、ここ3年ばかり八幡界隈で仕事し、毎日の様に通りを行き来していたので通りの美しさが当たり前になっていた。
それが、あちこちの街に出かけることが多くなると、何か違和感を感じていたが、何なのか正体が分からなかった。
ある時、気がついた。空が違う。
気がつくと凄く違う。特に選んで写真を撮ったわけではない。
これが普通の空なのだろう。まるで古い小屋の中に張り巡らされた蜘蛛の巣の様で所々に取り付けられたトランスは、巨大な蜘蛛みたいに見えてくる。
今や毎日テレビに欠かせない東京都知事の小池さん。
電線も無くすとのこと。
東京は、諸外国の都市に比べると電線類の地中化率が低いらしい。
「ネクタイを外した様に、電柱を引っこ抜く」との意気込み。
オリンピックが何度も開催出来るだろうし、話題の豊洲の市場を幾つも建てる以上に莫大な予算が必要だろう。
こうしてみると八幡の通りの景観は素晴らしい。
西の突き当りに中津川があり、その先に、もし、天守閣があったとすると見えるかもしれない。
見通しがきくと情緒豊かな街の輪郭が、はっきりとしてくる。
黄昏時のネオンも綺麗に夜の雰囲気を醸し出す。
八幡を中心に界隈には歴史的な建造物が多く、生姜町から南部鉄器、桐の下駄、老舗の鶏肉店などや和楽器、桐箪笥、ぶちょうほう饅頭などの店が連なる。電柱と電線が無く、どの店先からも東に朱の鳥居が見える。
そもそもこの街の煙草屋さんに行っても色々な話に花が咲く。
祭りの山車や太鼓が良く似合い、盛岡芸妓さんの姿も目にする。
そして、いざ祭りともなれば、コミュニティが衰えてきたものの地域の絆は、まだまだ強い。
この街に住み商売は勿論のこと、祭りや催事を脈々と続けてきた街の文化が一直線の八幡の通りにはっきりと見える。
盛岡に小さい頃に住んでいて、関東で暮らす人達も盛岡をこよなく愛してくれている人達がいる。
盛岡の古い町並みの魅力を詰め込んだ冊子まで作る人や夜行バスに乗り、弾丸ツアーで珈琲やカツ丼を食べて帰る人。
二人の共通点は、朝市から始まることだった。
食いしん爺は、朝市よりポンポコ市やよ市の方が得意で、朝、新幹線に乗る時以外はしばらく早起きとはご無沙汰だ。(笑)
小雨の八幡の空を見ていて思う。
この鉛色の空の下で、密かに呼吸する物が沢山ある。
盛岡を愛する人達に負けないように、一直線の通を目を凝らして歩いてみよう。