何かを顧みたい日は、fulalafu(フララフ)へ向かって歩く
今日は、歩く。
鉄骨が綺麗な弧を描いて北上川に架かる開運橋を渡る。菜園の通りは城跡の石垣にぶつかる。回り込んで中津川の河畔を眺める。下の橋の擬宝珠が街の風景と良く合う。東に渡ると古い町並みが続く。まだ真っすぐ歩いて行く。鉈屋町に入り、町家街は散歩気分の足取り。
食いしん爺にとって古い街の河南は、「珈琲の街」になっている。その日の気分でカフェを選んで一杯の珈琲を楽しむ。これは、爺にとって最上級の贅沢。
意欲的な日は、盛岡劇場向かいの「いなだ珈琲舎」で。
何かをゆっくり顧みたい感じの時は、フララフを訪れる。店に入ると珈琲の香りに包まれながら、お任せの一杯を待つ。テーブルに置かれた白いカップ。
この一杯を飲み干すまでが、私のフララフ時間。
秋を聴きながら、
その日、奥にある二つのテーブルには、女性と初老の男性が座っていた。その手前の席に座わる。実は、この席が一番、気に入っている。そこからは、作業するマスターの動きがガラス越しに見える。
マスターのお任せ珈琲がテーブルに載る。
いよいよ、フララフ時間の始まり。
やはり、珈琲にチョコレートは、よく合う。
マスターは、珈琲を通じて日常の喧騒を忘れ、「ほっこり」とした時を過ごしてもらいたいと考えている。
そのお陰で、私のフララフ時間がある。
珈琲の豆や挽きたてを、本と待つ人。手帳を開いて珈琲を楽しむ人。そして食いしん爺は、ぼんやりだ。
洗練された豆をお客さんに、きちっと説明し、話を聞いてから焙煎する。
マスターは、朝も早くから店に来て掃除から始める。夜、閉店してからも仕事に没頭する。サラリーマン時代も嫌になるほど忙しかったらしいが、好きな事をしている時間は、あっという間に過ぎる。朝から遅くまで、彼の心と身体は珈琲の香りに包まれ、焙煎機のリズムに合わせて動いているみたいだ。
好きな時間は、孤独だ。でも、納得のいく珈琲作りは、「これでいいのか? これでいい!」という風に、もう一人の自分と話す時間でもある。
「ひょっとしたら、今の方が長い時間、仕事しているのでは?」
職人は、時々、孤高な顔で自分の目指すものを追いかける。フララフのマスターの仕事ぶりは、音楽で言えば、ジャズのマイナーでスタンダードなナンバー?
飲み始めると、自分時間がスローになる。
頼んだものを大切に持って来た。マスターの情熱が、珈琲豆をなお一層、発香させる。
しばらくして、初老の男性が、マスターに軽く手を挙げて店を出て行った。
コーヒーカップも空だ。
人の仕事振りを見て感心しながら、澱んでいた心が少しフラットになった。
「どうも、ありがとうございます。」
「いつもどうも、是非、またお越しください。」
爺にとって、しっかり眼を見て言葉を交わす、数少ない店だ。
部屋に帰ったら煎りたてを挽いて飲むもよし、二日後の味も、また楽しみだ。
「fulalafu」フララフとは?
今は、野球少年のお子さんが小学生の頃、書いていた漫画の題名が、
「フララフの冒険」そこから名付けた名前
しかし、どんな漫画なのか?ちと気になる。
さておき、マスターは、この名前が大のお気に入りなのでは?
彼のブログの名は「フララフの冒険」