盛岡から、南に約100キロの一関まで朝早めに出て墓参りに行く予定だった。
ところが、リオのオリンピック。日本女子卓球のドイツとの手に汗握る戦い。最後の最後まで分からない。
ピンポン玉が卓球台のエッヂに当たりあっけなく勝負がついた。
ずっとテレビに食らいついていたので正午にちかい出発になった。しかも後味が悪い。
東北自動車道は混んでいた。渋滞の表示を見て水沢で降り、国道4号線を南下。一関のお寺に到着したのは午後2時を過ぎていた。
お寺の本堂の前に見事なハスの蕾と一輪の花が咲いていた。
この寺は願成寺といい伊達兵部ゆかりの寺。ハスを見ながら伊達家のお家騒動と仙台藩の歴史を想う。
以前にブログで紹介した盛岡の安倍館、一ノ倉邸の中尊寺由来のハス。藤原4代泰衡の首桶から見つかった種が800年以上の時を経て開花に成功し、株分けされた古代ハスの花も今年は見た。
ハスの花は、物語を秘めた神聖なものに見えてしまう。やはり、慚愧の念が時の流れとともに浄化された象徴の花の様に見えて仕方がない。
さて、食いしん爺の、祖父母、叔母叔父、従兄が眠るお墓へ。。
お墓は、本堂のすぐ傍にある。
墓から親戚の家に行き仏壇に手を合わせる。話し込んでいるうちに時間は過ぎていく。
さて、花巻に行かなくては。
今夜は、小さな同級会なのだが、間違いなく遅刻だ。盛岡に帰り、車を置いて列車で花巻に戻ると大幅な遅刻だ。仕方がない、このまま向かってノンアルにしよう。
「遅いなあ~」
「えっ!車なのか~」
と旧友から一斉に責められる。
「ごめん、ごめん。ところで、シュウ君とは何年ブリかな?」
「・・・・・・何年かな?」
もう、東京の生活が長いシュウ君
誰も、4人揃ったのが何年ブリなのか分からない。
2軒目に移った。その店は花巻に住むハル君の行きつけの内の一軒。お盆の15日でも開いていた。早速、ママも含めて5人の2次会が始まった。
みんな、焼酎だ。血糖値やらコレステロールやらを気にする世代だ。
それぞれが色々な人生を生きている。人は変わるものだとも思う。旧友との酒は、呑むにつれ高校時代に戻って行く。
さほど意味も無く、繰り返される乾杯。
乾杯!は続く。
栄ちゃんは、
「俺は、ガラスの靴だから、そろそろ帰んなきゃ!」
と言いつつ、乾杯に合せてグラスを掲げる。
ママもかなり呑んでいるが、アルコールの飲めない食いしん爺のウーロン茶が進んでいないのを見て、珈琲を淹れ始めた。
この店、「春夏冬」に初めて入ったが、食いしん爺一人、まるで喫茶店のカウンターの客。(笑)
「春夏冬」
秋が抜けているのは、あきが来ないようにという意味だとハル君が話していたが、当たっているかどうかは分からない。
いきなり、一かけでもでっかいニンニクを蒸したものを「のだ塩」付きでカウンターに置いた。
「明日の元気のためにね~」
とママは言う。深夜の運転を気遣っているのかな?と思いきや、みんなにも出てきた。
珈琲好きというだけあってカップもなかなか凝っている。
「珈琲、美味しい!」
小さなカップも出てきた。
もう、3杯は飲んでいる。なるほどね、これなら少しずつ、まだ飲める。
ママは陶器づくりに凝っていて、天目が少し出来たと茶碗に焼酎を入れて見せる。すると確かに底で怪しく光る。ママは、誇らしげだ。
話題は、傷だらけの思春期の頃から始まり、社会人まで辿る。
その後は、それぞれの生き様を簡単に話す。時々、青春時代に戻りながら。古代ハスの奥州藤原氏や伊達のお家騒動の話とまではいかなくても、ママを含め、皆の人生にも色々な事がある様だ。
5人もいると、人との別れや組織との衝突、果ては相続の話まで。大変なものだとたいていは聞き役に回っていた。懐かしいやら、人の人生を垣間見るやら、興味深かい。
皆で遡ったが、シュウ君とは20年は、会っていなかった所まで紐解いたがそれ以上は、誰も分からなかった。ただ明日、竜飛岬に行くという彼のビジュアルは、怖いほど殆ど変化が無かった。
「昔から、老け顔の男が年相応になっただけだよ~」
と笑う。
明日は、台風が来ても行く奴だ。そして雨の竜飛岬が良く似合うだろう。因みに彼は、高校時代からガンジーに似ていると言われていた。
次に会う時は、何年後かは分からないが、あのハスの様に色々な思いを超越し、少しは浄化した顔になっていたいものだ。