盛岡の八幡、鉈屋町界隈では、迎え火が街のあちこちで焚かれる。迷わずみんなが、我が家に来れる様に。そして街の人が、その灯をそれぞれの想いで見守る。
お盆だ。
お盆の頃になると、夏祭りの賑わいも終わり、咲く花も変わる。紫の美しいキキョウ。
そして合歓の樹は、これからも咲き続ける。
「この花は、夏に咲きだすと随分長い間、次から次へと咲くの。」
それから立葵のことも教えてもらった。
「花がてっぺんで咲くと夏が来るの。」
花のことをお祖母ちゃんから教えてもらったという。
「子供の頃に花を見る度に教えてもらった光景が蘇るの。」
懐かしそうに話していた。爺も同じで教えてもらったシチュエーションは忘れない。
お盆に生まれたその人は、今年もお墓でお祖母さんを懐かしんで祈るのだろう。
食いしん爺の夏は、7月の半ばに「mi cafe」で、ブルーベリーの美味しさと栄養を知った。それからというもの盛岡の南の乙部の産直に行っては、3Lのものを買い、せっせと眼の手術を秋に控えた人に届けている。産直の人達は、「また、ブルーベリーだ」と思っているだろう。
聞くところによると、乙部では栽培が盛んで品質も良いそうだ。大粒を口に入れると皮と実が一緒に砕けて甘く美味しい。果実の甘さは大好きだ。
そろそろ収穫も終わる。後は、冷凍にしたものだ。
「mi cafe」に早起きして摘み取り体験にも行こうと思っているうちに終わってしまった。
どれだけ役に立つかはともかく、美味しいうえに眼にも良いのだから食べてもらおう。
「ブルーベーリーが酸っぱくなく、こんなに美味しい物だったとは・・」
と、その人も毎日食べているようだ。
家族は、その人の手術が無事に成功することを先祖に祈ることだろう。
お盆に入り一年ほど前に亡くなった方の家に行き、御位牌を拝ませてもらった。時々、ふらりと訪ねてコーヒー、おやつをいただき、そしてタバコを吸いながら話を聞いてもらっていた。手ぶらで行くのだが、帰る時には、いつもお土産までもらった。
「たまには、電話してから来てね」
と何度か言われたが、滅多に電話することはなかった。
だから、先日お邪魔した時は奥さんに前もって電話をかけ、いなだ珈琲舎さんのドリップパックを持って行き仏壇に供え手を合わせた。
話していると、いつもの様に2階から降りて来そうな気がした。辛口な人だったからこそ、相談やお願いのしがいがあった。
奥さんは、まだ、青いままで落ちたミカンをガラス製のレモンの搾り器でギュギュっと絞る。紛れもなく、100%ミカンジュース。これが、とても美味しい。搾りたてを飲みながら、色々と想い出話に花が咲く。
帰りに、また、お土産をいただいた。
「好きだったでしょ。」
「はい、こんがり焼いて頂きます。
早速、その晩に、こんがり焼いた。美味しい!ご飯、お代わり。
満腹で椅子にもたれかかって思った。
「ミカンジュースも明太子も美味しいだろ。うちのやつは、九州だから。」
生きていれば、きっと爺に、そう言っただろう。
その方は、ある朝、目を覚まさなかった。全く突然の事だった。
奥さんの迎え火で二人でゆっくり過ごすのだろう。
東日本大震災で元気だった多くの人が一瞬で命を落としてしまった。5年と半前の事だ。町で将来を嘱望されている人がいた。彼が若い頃、夏休みに長野の山から戻り、盛岡で一息ついて沿岸に帰って行った。その時の爽やかな笑顔と山男らしい背中が忘れられない。
6回目のお盆。お墓の前で、今年も家族の無念は、変わりようがないだろう。
今年に入って大切な家族を突然無くし、放心状態となった人もいる。残りの人生を生きて行かなければならない。そんな初盆の迎え火。
色々と忙しいだろう。位牌の前で行燈や盆提灯に囲まれてゆっくり涙する時間があればいいのか、お客さんに追われて過ごした方がいいのか爺には分からない。
迎え火が、街のあちこちで焚かれる。今年も逝った人を想う、それぞれのお盆が始まった。
盛岡食いしん爺は、これから1日を好きに生きようと思う。向きたくない方を向き、見たくない方を見るのは、もういいだろう。これからは、好奇心の向くまま出かけたり、誰かの役に立つかもしれないことを結果にこだわらずやってみよう。
この地球上の生命の一つである限り、明日の事は誰も分からない。
まあ、立派なことを並べるつもりはないが、つまらない見栄を張ったり、少なくとも自分に嘘はつきたくないものだ。
少し涼しくなってからの墓参り。
先祖の霊に手を合わせる。今年は、祈りの時間が長かった。
お寺さんに住んでいる白い猫君達も普段と違って見回りに忙しい。
なんか、今年のお盆は色々な想いがあると迎え火を見ていて思う。