奥州平泉、藤原氏の四代 藤原泰衡の首桶に入っていた古代ハスの種、約80粒が昭和の学術調査で発見され、平成10年に見事、開花に成功した。
その名も「中尊寺ハス」と名付けられた。
そして800年以上も昔の古代ハスが、盛岡は安倍館の「一ノ倉邸」の庭園に株分けされたのだ。この場所、安倍館周辺は、前九年の役で安倍氏が藤原四代の始祖である清衡の父ともども敗れた地であると言われている。今も、安倍館、前九年という地名が残っている。
平安時代に君臨した奥六郡の自治王国は、安倍 貞任の斬首と共に消えた。
その地に、東日本大震災の復興祈願と平和の象徴として一ノ倉邸に中尊寺ハスが株分けされた。平成24年の4月のことだ。小さな池を掘り、一ノ倉邸を世話している方々が中心となり熱心な管理の結果、その年の夏、ひとつの蕾が育った。
しかし、しばらくして真ん中に黒い斑点ができ、その後、蕾を見た人がいなかった。
続いて二つ目の蕾が膨らんだ。しかし、色に力が無かった。そして関係者が固唾をのんで注目する中で咲くことは咲いた。しかし、蕾が開く前から枯れていた様な花だった。
関係者が諦めかけた時、三つ目の蕾が膨らんだ。力強く、微かにピンク色を秘めた様な蕾は、期待を受けて膨らんだ。
そして、ついに淡く美しい中尊寺ハスが咲いた。
何か深い縁がある様に思えてならないのだ。
今年も見事に中尊寺ハスは、咲いた。
一ノ倉邸の庭園は、昔は大きな池があったそうだ。
住宅地の中に鬱蒼とした針葉樹の茂みがあり、一際、空気が澄んでいる。
今日は、建物は休館だったが、ハスが咲いたので庭園を開放していた。
建物は、外観からでも楽しめ、しだいに心が和んでいく。
木陰に額紫陽花の薄紫が、とても綺麗だ。
負けじと百合も美しく咲いていた。
爺の好きな、昔の窓ガラスも残っている。所々、歪んだガラスがあった。
いよいよ、ハスの小さな池に降りる。
おや? いつのまにか、ちっちゃな鳥居がある。
咲いてる!
蕾も、あるある。
こぶりながら、中尊寺ハスの淡く清楚な姿に、爺は癒される。
東日本大震災の復興や近頃のテロの報道などを思うと、思わず手を合わせ平和を祈りたくなった。そういえば、伊勢神宮に参拝したおり、石段を登り神殿に手を合わせると世界の平和や地球の環境など日常と違う世界のことを願い、祈ったことを思い出した。
この、中尊寺ハスにも似た思いがした。
そんな食いしん爺の今朝の心境。
緑の中から仰ぐ青空は格別のものがある。
樹々の緑と青と白い雲。小さく伸びをして空気を体中に吸い込む。自然に姿勢が良くなる。
この、京都の高雄から来たいろは紅葉は、秋も深まる頃には、朱に燃える。
このハスが咲いた年の実を見たことがある。
思っていたより、粒が大きく、手のひらにのせると800年の時を超えて咲くであろう力強さみたいなものを感じた記憶が鮮明に残っている。
今年の盛岡の冬の風物詩の「盛岡文士劇」の演目は、平泉が舞台で「奥州藤原氏の秀衡と義経」ということだ。そして来年の1月には、東京で公演するという。
みちのくの庶民が育てた文化の開花となることも願い、祈った。
東京で途絶えた文士劇。
この地の庶民文化が育んだ「盛岡文士劇」を旗印に凱旋公演の勢いらしい。
さて、ぼちぼちランチタイムだ。
「盛岡食いしん爺」は、なにか美味しい物を食べに行くとするか。