あれは、3月の終わり、それとも4月だったか?

突然「しばらくの間休みます」の張り紙とともに、黒い戸が閉ざされたままだった。

どうしたのだろう。周に2、3回は前を通るようにしていた。

しかし、張り紙が日に焼けてきても門は開かなかった。

 

6月の中頃、生姜町を通った時、「あっ! あいてる」と思わず声を出して立ち止まった。

門が開いた。

 

その時、なぜか入ってすぐの左の壁の写真を見たいと思った。

 

 

黒く、重厚で時間の流れを物語っている様な門をくぐる。

 

 

何となく慎重に中を覗く。

 

 

 

 

 

蔵の扉も開いている。

 

 

 

前は、こうだった。というイメージが蘇りつつドアを開ける。

 

 

 

ドア開けるとカランといつもの様に音がする。

変わらない。

久し振りなので2階に行くことにした。

 

 

 

 

 

 

変わっていない。太く黒々とした梁が湾曲に伸びでしっかり蔵を支えている。

う~ん、変わっていない。

 

 

 

 

ところが、いつもの女性ではなく男性が水を持って来た。

「のちほど、お伺いします。」

と丁寧に戻ろうとする。

「あの、オムライスのハヤシソースかけと珈琲。」

「珈琲は、深入り、浅入りとどちらにいたしましょうか?」

「深入りで、ブラックです。」

かしこまりましたと丁寧にお辞儀して降りて行った。

 

以前は、

「いつもので、よろしいですね?」

別に、常連ぶるわけではないのだが、前は、ただ頷けばよかった。一人の時は、たいてい1階で誰かと待ち合せの時は、2階にしていた。

季節に一度ぐらいの割合で知り合いとランチをともにする場所でもある。何年か前に一緒に働いた頑張り屋の背の高い女性だ。近況を語り合いながらも、スプーンは動き続ける感じで話は進むのだ。

2階に上がると、彼女は、水を2個もってくるのが決まり事みたいになっていた。

 

僕は、2、3回、場合によっては1年ぐらい通っても、店の人に話しかけない。というか、かけれないのだ。シャイではあるが、それだけではない。ごく自然な流れを好むのだ。

 

ところで、この店に居た彼女は怪我をしてしまい、辞めたということだ。回復を祈るしかない。

 

 

 

たしか別の名前があるのだが、

「ハヤシオムライス」と勝手に呼んでいる。ミニサラダ付きだ。

やはり、人が変わると僅かに違うものだ。まず、量が増えた。

 

 

「ハヤシオムライス」だ。

美味しい。まろやかでコクもあり美味しい。

これが、彼の味なのだろう。

 

 

 

 

でも、やはり、ちょっと違う。作り手の想いも異なるところがあり、レシピのアレンジも多少はあるだろう。

もともと誰から始まって引き継がれているのかを聞いたことがあるような気がする。でも、出てこない。

 

 

東京の日比谷公園の「松本楼」のオムライスハヤシソースがけの味に似ていたが、まろやかさを増そうと頑張っている様に思った。

とにかく、美味しい!

 

 

ゆっくり珈琲を飲みながら想う。

これから、どんな味、どんな雰囲気の店になっていくのだろう。

 

 

 

この「車門」で怪我をして辞めることになった女性から聞いたことで印象に残っていることが二つある。

一つは、東日本大震災の時、皿、一枚も壊れなかったそうだ。その話を聞いてから、時折建物として店の中を眺める。そして、頑丈な造りの凄味に圧倒されることがある。

二つ目は、この蔵は明治の建物で当時の写真が入口の傍に飾られている。隣には当時としては、相当にモダンな店構えの洋装店があったらしいのだ。その後、この蔵は、昭和二十年代に、喫茶店になっている。

 

昔から珈琲を飲みに来ていたが、この話を聞いたのが、今年の冬だ。

本当に僕は、なかなか店の人と話さないのだ。ほっておいてもらう方が好きなのだ。

 

 

一人でゆっくりと、ある時は週刊誌を読み、新聞を広げたり、ボーっとしたりしている場所が「車門」だった。

でも、これからも、そうできる場所になりそうだ。

 

 

盛岡は、河南の生姜町の老舗喫茶店「車門」は、食いしん爺の「ねぐらカフェ」であり続ける。

う~ん、深入りの珈琲が美味い。

さしずめ、今日は、ボーッとの日だ。