二、三ヶ月ぶりに「すずめ」の山吹色の暖簾をくぐった。
椅子に座りテーブルにメニューを広げる。
この焼き鳥の匂いがプンプンとしてきそうな入り口が、実は、お好み焼き屋さんだとは、
なかなか今の若者にはピンと来ないだろう。
でも、そんな風情も爺には嬉しくてたまらない。
すずめの名の由来は、確かマスターのお母さんの出身地が栃木の「雀」という所で、
その地名から名付けたとのことだ。先代は、とにかくお客さんに腹いっぱい美味しいも
のを食べてもらいたい、という気持だったそうで、勿論今も続いている。でも、マスター
は、客商売にしては不愛想だと思う。(笑)
でも、爺は、そこがとっても好きなのである。
何度か店に通い、ある時、いきなりマスターから話しかけられた時は嬉しかった。彼
からしてみれば、顔見知りになれば、話かけるのは当たり前のことなのだろう。
そのあたりが、この店に昭和レトロの雰囲気が漂っていることの原因の一つなのでは
ないだろうか?
昭和の時代、その当時の青年から見れば古いものは、ただの遺物だった。それから
平成の時代に入り、ノスタルジーの対象が昭和になった。
かれこれ二十年前ぐらい前に飲料のプロデュースに関わりヒット作を打ち出した方の
話を聞く機会があった。「これからの平成の時代は昭和が受ける。それは激動の時代
だったからと続々と団塊の世代が年を重ねていき、一気に懐かしむ世代が増大する。
孫に、お爺さんの昔の時代を語る時が来る。」
と熱く語っていたのを思い出した。
コンピューターが主役の現代社会に変わり出し、都市化が津波の様にやってくる。職
住分離が進み、職場では合理性を追求し、残業で疲れた体を引きずって家路へ急ぐ。
店は、ワンストップ型になり、スーパーやショッピングセンターで何でもそろうように変
わり、魚屋、肉屋、八百屋、米屋などの専門店が次々とマンションや駐車場に変わって
いった。
もう昔話だが、友達の結婚式で東京に行った時、式場に行く道で、コンビニに入っ
た。のし袋を買ったのだ。その時は驚いたものだ。そして便利な世の中になるにつれて
欠落していったのは、コミュニティだった。真空管や白黒テレビなどアナログ的なものが
デジタルなり、自分の家の前を雪かきしながら隣人と世間話をする光景が消えていく。
そして、ノスタルジーが始まる。
「大正ロマン」以来の「昭和レトロ」となる。
まあ、爺の勝手な見解です。(笑)
しかし、食いしん爺は、何度も通う店に入ると一応、メニューを見るものの、いつも同
じものをオーダーしている。
塩餃子から頼むと、
「すいません、塩餃子は冬の限定でして・・・・」
「なるほど、なねほどね」と言ったものの、この冬に初めて食べて以来、やみつきに
なっていたのでガッカリ。爺にとっての新メニューがおあずけになった。
結局、海鮮ミックス、ラム肉、鶏はらみと焼きそば。
お好み焼きで、爺は、失敗してもなんのその。自分で焼きたい。
焼きそばを自分の好みで作れるのはとても楽しい。
第一段階は、よしと。
ん~、いい調子。
美味しい!
ラムを焼く。
モヤシとキャベツとラムは合うのだ。
特製のタレを垂らして。
美味しい!
鶏ハラミも美味しいのだ。
そして、焼きそば。
今日は、薄味にしての鉄板ソース豚焼やきそば。
爺は、豚肉ともやしと麺を別々に焼き混ぜる。
サクサクのもやしが美味しい。しかもたっぷり。
我ながら、上出来。にんまり。(笑)
やはり、熱い鉄板のせいかな? 家では、こうはいかない。
勿論店の素材が第一であります。
塩餃子。冬季限定だっとは・・・・恋しいなあ~(笑)
この街は、無機質なじゃないサービスがある。
特に、盛岡八幡界隈の多くの店では、店主とお客さんとの間に、通う度に無理のない
自然な絆が出来ていく。
爺は、そんな店が多いのではないかと思っている。
ランプありますのフラッグとランプ。
車いすの人が、段差などを乗り越えられるように置いてあります。設置の運動をしてい
る団体の考えに、この街は直ぐに賛同。しかも積極的。子供たちが絵を描いているのが
なんとも素敵だ!
昔からの提灯や流鏑馬の的に矢が刺さった縁起物などをあちこちの店でかざってあ
る。三味線の音色や着物姿の盛岡芸妓さんたちを見かけると、この街には昔ながらの
庶民文化が呼吸している様に思えてくる。
路地も沢山あってとても興味深いのです。(現在、探索中)
爺だけのこの街への強い思い込みなのかもしれないが・・・・明日は、ちゃぐちゃく馬コ
のお通りだ。これがまた、ぴたりと通りにはまる。