5月の下旬、花巻での用事を終えてある絶景を思い出した。
早速、道を頭に描きながら走る。
代車でナビがないし、もともとナビが好きじゃない。頭の中の鳥瞰図を頼りにアクセルを
踏むのがいい。時々、とんでもない迷路に入り込むが、そこでの思いがけない発見や出
会いがあったりすると、もうたまらない。
先日も岩手町から盛岡へ帰る途中、向かう先を間違えて玉山の田んぼ道を走り、ちょっ
と遠回りになった。
しかし、カエルの童話を思い出し、田んぼの中に車を止めると、息を飲む光景が広がっ
ていた。
カエルの子が「海を見てみたい、見たい」とせがむ、困り果てた母親だったか父親だっ
たか? なかなか、海は遠い。カエルの脚ではいくら飛び跳ね続けても難しい。「さて」と
考えて田植えの準備で水を満面にはった田んぼに連れて行った。そして海だという。
カエルの子は目を見張る。
そんな童話があったことを覚えているが、頭に残っているイメージかもしれない。
とにかく、田んぼで逆さ岩手山、「南部逆さ片富士」を見られるとは、今まで思いもよら
なかった。水面に映る岩手山を見ながら大きく深呼吸をした。気持ちよかった。カエルの
親子の心情がよくわかる。
しかし、田んぼの水面に映る「南部片富士」の見事なこと~
農作業の合間に眺めれば、心地いいだろう。
花巻の街から西へ走る。
広々とした田んぼは、田植えが終わっている。この水をはった時期がいいと直感。
奥羽山脈の麓にぶつかる。たしか大きな鳥居があったはずだ。ぼんやりとした記憶だっ
たが、鳥居が見えて来た。
ここだ、ここ!
昔は、この道を歩いて登ってきたのだろう。
あれ、ワンちゃんと、そのご主人はどうも階段から来た様だ。
花巻の観光協会のサイトによると、「円万寺観音山」という様だ。
お寺なのに、鳥居がある?
鐘楼も緑の中にあった。
奥羽33観音の2番札所。坂上田村麿に由来しているとのこと。後は、多田等観
という人が花巻に居た際に住んでいた庵もある。神楽の舞台もあった。
八坂神社もあった。なるほど、鳥居があるのも頷ける。
色々と伝説や物語が眠っている様だ。
そんな雰囲気が漂っている。
さて、松島だ!
丁度、西日が広々とした田んぼにあたる。
田植えが終わったばかりの田は、水がはり陽射しを受けて輝いていた。
点在する屋敷林が、あたかも島の様だ。
標高は、おおよそ200m。この高さも丁度いいのかもしれない。三脚を立てシャッター
チャンスを待っていた人もいた。
定かではないが、誰かが海に浮かぶ島々の様で、まるで松島だと言った人がいたような
気がする。
だいぶ前に来たときは、稲刈りの頃で陽射しを受けて黄金色に輝く中に屋敷林がいい
具合に散らばっていた。
マルカンデパートでソフトクリームを食べながら、山の上にお寺があるというので、行っ
てみようということになったのは鮮明に覚えている。
男2人と女1人の3人だった。
免許取りたての車に乗り、狭い道で急な坂を必死で運転している友達に助手席に座っ
ていた若き爺は、内心後悔していた様な記憶がある。後ろの女の子の方を振り向いては
一生懸命に笑顔で話しかけていた。
間違いなくひきつった笑顔だったに違いない。
あれから、長年月が流れ、マルカンは昨日、最終日を迎えたが、ここは全く変わってい
ない。
巨木が何本か天に向かい、この地から広がる景色を見守り続けて来たのだろう。いつ
もは、そんな風に思わないのだが・・・・・
巨大な幹回りの樹も、まだ元気に若葉を湛えていた。
この巨木の由来は、よく分からない。幹の根元には、大きな空洞があった。
とにかく、食いしん爺は、花巻の円万寺から広大な田園風景の中に「松島」を見た。
そして、巨大な樹に圧倒され、木立に囲まれた円万寺観音山の中で日常を忘れ神秘
な世界に浸っていた。
色々な歴史や物語の探求は、またの機会にとっておくことにした。
山を下りた。
花巻の街を通って盛岡に帰る。
その道すがら、「盛岡食いしん爺」に戻っていた。
花巻駅の西口側のブルージュプリュスに寄った。
まずは、フルーツ系を。
美味しそうだ。どうも爺は、こんな感じのスゥイーツに目が無い。
そして、飛びつくように買ったのが、これ。
まるで、さっき見た大樹のごときバウムクーヘン。これを食べずして「食いしん爺」は
名乗れない!
この店のこだわりのバウムクーヘン!
美味しい! 木の根っこのところが、とても美味しい。
広々とした景色と円万寺観音山の大樹のことは、しばらく後をひきそうだ。秋の黄金色
の海を見に行くことにしよう。そして、じっくり物語を探索しに行こう。
それにしても、なんだか祈りたくなるような樹だった。