「ポンポコ市」が迫った5月12日の金曜日。
盛岡の夕焼け。
「春はあけぼのやうやう白くなりゆく山際、少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびき・・・」
という例の「枕草紙」
しかし、明け方ではなく夕方の空に紫が現れた。
ポンポコ市の天敵は「天候」
「雨男」と「荒男」がいるらしいのですが、この夕焼けを見て今年は開幕からいい天気の
予感。(笑)
二日後の空。晴れ!
ポンポコ市には、欠かせないご夫婦。
早くから、「のり」が違います。そして背景も心得ています。
「ポンポコ市」の名前と関係があるのでしょうか?
これが、二日前の夕焼け。
「枕草子」の薄紫の空は、朝ではなく夕方に現れた。
何とも言葉にならない美しさでした。こんな夕焼けを見た記憶がないなあ。
ポンポコ市も大盛況の様子。
今日は、「一ちゃん」「やまちゃん」の二人に同行。
スタッフのご苦労を手ぶらですが、陣中見舞いをしながら「ポンポコ市」を回りました。
2人の距離が・・・微妙な距離感だなあ~(笑)
まずは、「ごん八」さんの「うす焼き」で腹ごしらえ。
親方は、蕎麦をほっておいて「うす焼き」づくり。
親方のうす焼きは、ファンもお手伝いしているそうだ。親方が続けられるように。(笑)
早速、みんなで食べます。
う~ん美味しい! 食いしん爺も納得の味。
親方曰く。
「タレだ、タレが違うんだよ」
「なるほど」と全員が納得。
盛岡八幡宮の近くでは、フリーマーケット。
八幡界隈に必ずや現れる人。
せった飛ばしのスタッフ。
なんでチョキなの? あ~ピースね。
八幡界隈の総責任者も青空で大盛況の様子にホットした表情。
傾斜の少しある「坂の上」と「坂の下」の中間とはいえ、不思議な並び方です。(笑)
まだまだ、疲れ知らず。
4人でいるのかと思いました。
奥さんだけ、こちらを向いてくれています。
「お疲れ様です」
大変ですね~
放送開始。
ポンポコ市で大活躍。
ちょっと、いやかなり疲れた様子です。
きっと何かを訴えたいのでは・・・・
「お疲れ様です」
無視して一ちゃん、やまちゃんと爺の三人は、先を急ぎます。
放送で紹介された津軽三味線の演奏が始まりました。
八幡界隈に「津軽三味線」が似合います。
お客さんも集まり、遠巻きに見てホット一息。
河南をアツく語る「よもやま話の会」の会長さんと一ちゃん。
あっ、会長! うす焼きを片手に。
なるほど、美味しいものには素早い。
八幡界隈の街の至る所、ちょっとした「小庭」に花が咲いています。
「今日は、いかがでした?」
「ミニ循環バスに乗り、鉈屋町から八幡界隈、紺屋町まで歩いて楽しい1日でした。
スタッフの皆さんは、たいへんでしょうね」
まだ、帰りたくなさそう。
二歳だそうです。
「晴れましたね」と声をかけると、
「おかげさまで、いよいよ、開催しました。いいスタートをきれました。」
半纏がいたについてます。
よく雨にあたる「ポンポコ市」
でも、今年は、自信ありげな表情。
「三千人近く、あるいはもっと沢山のお客さんが楽しんでくれています」
疲れていると思いますが、それを感じさせません。
午後3時半。
盛況のうちに終了。
街に静寂が戻る。
間違いなく一日を終えたスタッフは、後片付けを終えて夕方には界隈の店で
打ち上げをしているでしょう。
リアルタイムで「八幡界隈まちづくりの会」のフェイスブックで配信しているだろう。(笑)
まだ、歴史の浅い「ポンポコ市」だが、支えているの人達の結束は固い。八幡の通り
の電線がなくなり、朱の鳥居がくっきりと見える様になって始めたらしい。
盛岡は、「市の街」でもあると思う。神子田の「朝市」材木町の「よ市」紺屋町のアン
ティーク市」などが行われている。日常の生活に沿ったイベントは盛岡の「庶民文化」
の盛んなことを表していると思う。
それにしても、この街の人達が祭り好きとはいうもののスタッフとしての苦労は大変
なものだろう。でも、みんな笑顔で頑張っている。
東日本大震災の後、衣食住がある程度足りた後、少年達にはスポーツ選手が活躍
するのを見て夢を抱き、伝統の祭りが復活して地域の人々が生きる勇気をもらった。
人が生きていくうえで文化は、必要なことだと再認識させられた。
祭りやイベントを支えるのも、また「人」だ。
人と人の絆。
膨大な災害廃棄物の処理の後に、熊本や大分でも必要になってくることだと思う。
まだまだ、大変だと思う。
さて、八幡界隈のスタッフも、ゆっくり休んで明日は日常に戻るのだろう。
爺は、というと、明日の昼は、久し振りに「ごん八」さんで蕎麦を食べに行くことに
しよう。
「ポンポコ市」の賑わいの後は、いつもより静かに見えた。
一ちゃん、やまちゃん、案内、ありがとう。始め遠かった二人の距離も終わりが近づくに
つれ、肩を並べて歩いていた。