2週間ぶりの東京。
もう5月。今度は暑さ対策は、しっかりと薄着で。
今日は、少しゆっくり。
盛岡から9時過ぎの新幹線に乗った。
お~「こまち」が来た。
まるでアニメのように見事に合体。
沢山の人が見ています。
こんな時、背が高いので混雑してもしっかり見えます。(笑)
盛岡の駅前には、ずいぶん背の高いマンションが次々に建っている。
でもすぐに緑が見える。
そして、あっという間に田園風景。
もう、田んぼに水が張られ、朝日に輝いてます。
この田んぼが地球環境への影響は凄いものがあるらしいです。まあ、確かに
夏も水が一面に張られ、隙間なく稲の緑が育つわけですから。CО2の削減量も相当な
なのことだろう。
こうして写メを撮ると、まるで飛行機みたいですね~
あっという間の2時間。
また、今日も上野で降りる。
昭和の頃と上野駅の屋根が変わったのかどうか、思い出せない。
この辺りの風景は、さほど変わっていないと思う。
駅と周りが変わっていないので土地勘は通用する。
上野の公園に行くには「公園口」に向かえばいい。道路を渡れば、上野の森だ。
しかし、地下深く新幹線が通っているとは、爺にはピンとこない。(笑)
地下鉄網といい地下街といい東京の地下には巨大な街があるわけだ。
今日は、まず「若冲」展。東京都立美術館へ。
東京に来ていつも思うのたが、緑が目立つ。
見渡す限り緑の中にいる。大都会のほぼ真ん中なのに。
でも、東京の緑は綺麗過ぎて岩手の大自然の緑とは違う。そう爺には映る。
人工的な緑の感じがする。
でも、それはそれで気持ちがいい。好きだ。
通りの向かいを和服姿の女性が日傘をさして歩いて行く。そのCМの一コマの様に流
れて行く光景に見とれていた。
東京都立美術館は、やはり、超~長蛇の列。
レンガ色の建物が目指す都立美術館だ。
いつも、大都市開催の人気の展覧会は長蛇の列。
「盛岡でこんな行列は、見たことがない」
20分経過。まだまだ敷地の外。
九十九折りになっていて先がわからない。
近づいて遠くなり、また近づく。
でも、日本人は偉い。みんながルールを守る。
盛岡にも「若冲」展があったのだが、見れなかった。
今更ながら悔やまれる。
見た人の話では、特に並ぶでもなかったらしい。
敷地内から見ると、後ろに、どんどん列が長くなっている。
日傘を貸してくれるのです。
今日は、薄着なのですが、陽射しが盛岡の夏だ。暑い。
並ぶのが嫌いな自分が1時間半も、よく待ったものだ。入館したものの、さらに20分
は立っていた。
美術ものは著作権が色々と厳しいので入場券の写真だけて゛すいません。
大正、昭和と若冲について研究され昭和45年に辻さんという方が「奇想の系譜」
を出版。その後、注目を浴び始める。特にアメリカの収集家のコレクションで人気に
火がついた。確か復興支援の思いを込めて盛岡にも来たはずだ。
若冲は、遠い未来に自分の絵が認められると語っていたらしい。
爺は、絵についても凡人の域を出ないが、細密で計算された技術でリアリティーを
追求したということだ。都立美術館では残念ながら、殆どの作品のガラスケースの目
の前に人波が出来てしまい、動かない。
スタッフも躍起となるが無理もない。
でも、少し離れても爺には見えた。立体的に浮かび上がってくる様だ。
「群鶏図」など、信じがたい技法を凝らしていることをテレビで知れば、近くで見たくなる
のも当然のことだろう。
しかし、NHKでも何度か「伊藤 若冲」が放送され大人気に。テレビの力は、怖いほど
凄いものだ。
館内では、屏風など色々と展示されていて思っていたより沢山あって楽しめた。
時々、室内の熱気も忘れて見入った。
しかし、さすがに人の波から解放されるとほっとした。(笑)
公園では、大道芸に人垣ができ、公園内の通路は上野動物園や外のミュー
ジアムに行き来する人で溢れている。上野には、沢山の文化施設がある。
やはり、最終日とはいえゴールデンウィークだ。
2週間ぶりの不忍の池のほとり。
新緑もだいぶ葉が大きくなっている。
ここからは、あっという間。すぐにうっそうとした濃い緑になる。
さて2週間ぶりの「伊豆榮」
贅沢だなあ~ でも、よしとしよう。3年以上も鰻を食べていなかったら、1年半に
1回食べたことになる。都合のいい計算。数字とは、都合よく使うもの?
思い切って前回より、グレードを上げた。また、しばらくは来れないだろうから。
美味しい物には、悔いのない様に。(笑)
まずは、綺麗だ。
先付は、菖蒲?
筍に山椒の小さい葉が風味も、ビジュアルも上げる。美味しそうだ。
小学生の頃、父の休は、ほとんど早朝からの魚釣り。
たまに、遅く起きた時は、散歩に誘われたものだ。岩手では桜の名所の一つで一関市
の釣山という丘の麓に住んでいた。少し高く、庭からほぼ街の全景が見渡せた。
丘の麓に幅1メートルほどの用水路があり、丘をぐるりと巻くように流れていた。その用
水路に沿って道がある。道幅は、大人が両手を広げたぐらいだ。
その道を散歩する。しばらく行くと、家並みが途切れ、ある家の敷地に見事な山椒の樹
があった。父は、背が高かったがその樹は、もっと高かったと思う。
父は、その樹の前で立ち止まると腰高の垣根を越えて身を乗り出す。何気ない顔で葉
をちぎる。その時の山椒の香りが印象的だった。美味しい匂いとは思わなかった。
片手いっぱいに採ると、
「さあ、帰るか、朝御飯ができる頃だ」
と父は、ニヤリ。父が、いたずら好きの兄貴分の様に思えたものだ。
その父は、退職後、すぐに母を失った。自分も母の法事の直後に、長い闘病生活に
入ってしまった。見舞いに来た人や、親戚の法事に父の代理で出た時など両親の昔話
を沢山聞いた。
かなり、やんちゃな少年だったらしい。
山椒を持って家に帰ると母が、
「今度は、ちゃんと、ことわってきたの?」
「あ~、なあ」と言って私を見る。
樹の主は、良い人なのだが、厳格な人だったらしいのだ。いや当然。(笑)
父は、すり鉢に味噌を入れ、続けて山椒の葉を入れて勢いよく擦る。あっという間に
豆腐の上にのせ、食卓を飾る。そして自分が手をかけた時は、必ず聞く。
「どうだ、うまいか?」
「うん」
と言って息子は、ニヤリとしてみせた。
山椒の味噌の味の様に、ちょっと大人になった気分だった。
綺麗で美味しい。また、目と舌で愉しみ、想い出に包まれた幸せな時間。
来ました。1年半に1度の計算になる鰻重。
今日は、食べる前に思い出の山椒を振る。
柔らかく美味しい。
さて、鰻で満足したら歩く。
上野から銀座へ。
銀座は、「歩行者天国」だった。
道路の真ん中から見る街が、また違って見えるのだ。だから東京マラソンは楽しい
と走った人が話していた。
爺の学生時代は「ホコ天」花盛りの頃。新宿駅から伊勢丹まで道の真ん中を行ったり
来たりしたものだ。当時、新宿と銀座は歩く人の雰囲気がまるで違っていた。
さて、今の銀座は・・・・・・
<続く>