四月になろうかという頃、ある宴会があった。

  場所は、八幡界隈の盛岡劇場の並び。店先の石でできた角柱に「御食事処」と記され

  ている。創業して三十七年目の和食「惣門」が会場だ。

 

  この店のおかみさんは、八幡界隈で料亭を営んでいた血筋でこの界隈で生まれ育った。

  「八幡の栄枯盛衰、稼ぐ人々の酸いも甘いも見てきた。華やかな世界には裏もあるもの。 

 だから、私はね、昔のことは、あまり語らないんです」

  口元は笑っているが、ちょっと遠くを見て言う。

 

  東日本大震災の日。

  翌日に、予約があり沢山の仕入れをしていた。電気が止まる。

  即座にありったけの氷を冷蔵庫に入れた。

  盛岡劇場には、かるく百人を超える人が続々と避難してきていた。

  近くの何軒かの飲食店は、惜しみなく次々と炊き出しに仕入れたものを使った。

  惣門の一家は、近くの飲食店の人達と一緒に避難者に配った。盛劇に避難した人々

 は、美味しいご飯で笑顔になった。おそらく、市内で一番、恵まれたご飯だっただろう。

  二人は、口を揃えて、

  「このあたりの地域の人はね、絆が強いんです」

 

  震災て゜沿岸に親類知人を訪ねに行く人や災害支援に行く人達に朝のご飯を出す

 ことができた。電気がだめでもキャンプが好きな一家が持っていた用品やガス釜が

 2台あったのだ。

  お昼のおにぎりを手渡し、旅立つ人を元気づけた。  

  沿岸から避難してきた人達は「魚が食べたい」と言った。

  少しは、魚を食べさせることもできた。

  

  その日の宴会も界隈の人が集まっていた。

  ご主人もおかみさんも、輪に入っているようなものだ。次々と料理を運んで来ては話

 に入る。

   

    今年の一月のサンデー毎日の「おいしい旅」で太田和彦さんが「盛岡、惣門の錦繍の

 八寸」と「盛岡城下早春図と柳かれい」と題して二回にわたり書いている。

  とても美味しい「お通し」と「絶賛された柳かれい」などの話です。

  「それからは、もう、お通し一つにしても、ますます頑張らないと、と思ってますね」

 とご主人の優しい笑顔。

  まぎれもない盛岡のグルメ、和食の「惣門」

 

     盛り付けも綺麗だ。

     美味しそうだ。          

 

 

    テーブルに春が来て花々が咲き誇っているようだ。

 

 

 

 

 

   山菜も美味しそうな天ぷらで登場。

 

     

     花も? これは主役への花束。

 

 

 

 

   細やかにデザインされた料理が彩りよく並ぶ。

   

 

 

   海苔巻きも、春を巻いているようだ。

 

 

 

 

 

     今夜の宴会は、休日なのでみんな普段着。心も普段着。(笑) 

 

 

 

 

 

   お椀は、ひっつみ。盛岡は、四月中は、陽が落ちると肌寒いので温まるのです。

 

 

     綺麗で美味しい料理もドンドン減っていく。

     話も弾んで宴会も盛況!

 

 

 

   悪酔いの人は「御用」になります。(笑)

 

 

    イザとなったら火縄銃で、懲りない人には大筒も(笑)

    地元南部鉄器で造られているらしい。この話もサンデー毎日に載っていた。

 

 

 

 

 

   何気ない佇まいの中、それぞれの店の暖簾をくぐると「美味しい」が待っている。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

     花街だった八幡界隈。

    今も、下町という名がよく似合い、ノスタルジックな街並みが続く八幡。

    そこに息づく人々の日常は脈々と続いている。

     しかし、なにかことが起きれば、一つになる。

     夜になると通りは人影もまばらだが、一歩店に入ると馴染みの客で賑わっている。

 

     美味しい酒でした。

     八幡界隈の路地の話は、また次の機会に。