盛岡の擬宝珠のある上の橋を東に渡って50mほど。

  漆黒の蔵がある。

  旧井弥商店だ。蔵は、江戸時代のもので一度火災にあって修復したとのこと。

  だからだろうか? 黒漆喰(しっくい)なのは。


  この中に、「正食普及会」がある。ちょっと入りにくい店名だが、全く中はそんな事は無い。

  沢山の一つ一つが身体に優しい物ばかりがぴしっと並んでいる。みんな食べてみたくなる。


  「父親が心臓が悪くてね、それで玄米信仰です。とにかく店に来るまでに野草、薬草など体に

 よさそうなものを採ってくる。体を気遣ったおかげで70代の半ばまで生きました。」

  皆に、良いものを食べてもらいたいという発想のようだ。

  戦後、昭和22年に開店。

  採ってきた野草なども天ぷらにして店の奥に開店した「食堂」で出したそうだ。

  食堂は、いつも5、6人しか入らなかったらしい。

  

  今は、雑誌などにも掲載され、先ほども「横浜」などに向けて宅急便が引き取りに来た。

  そして、今の地元のお客さんは、アレルギー子供をきずかって来る人や健康志向の方が

 自然食品を色々と購入していくということだ。

  爺も「なるほど~」と頷いた。




  






                    入り口のガラス戸に手書きの張り紙「いいなあ~この感じ・・」



    

     店に入るとびっしりと並ぶ自然食品。












    












     まず、爺が買ったのは、「ライムギパン」

     100% ライムギパンもあります。





    本来のパンの味というか、とても美味しい。

    ライムギたっぷり~ ライムギパンってこんなに美味しかったかなあ~

    ぺろりと2枚食べました。



   次に買ったのが、玄米ラーメン。

   なんか、美味しそうなんです。(笑)

   


    ついつい、味噌味としょうゆ味の二つ買っちゃいました。

    まあ「盛岡・食いしん爺」ですからね。





       続いて「正食会のパン」 

       原材料は、小麦粉、黒砂糖、植物性油脂、パン用酵母、食塩です。

       飽きないです。

  



     爺は、紅花マーガリンをたっぷり塗ります。

   





    そして、いよいよ!

    食いしん爺も大興奮!!

    「季節限定パウンドケーキ」

    爺が買って間もなく、若いカップルさんが

    「パウンドケーキは、もうおしまいですか?」

    「あ~売り切れです。すいません」

    「はあ~ そうですか・・・・」

    とガッカリしながらもしっかり、この店の定番、「ロシアビスケット」を何枚か買っていきました。

    

    キャッチは「1枚で満腹」

    硬めなので噛んでいるうちに満腹になる雰囲気をある雑誌の記者の方が表現したのが

   きっかけだそうです。



 



     これは、何だろう。

     これぞ、パウンドケーキと言う感じです。

     普段、あまり爺は、「美味しさ」を詳しく表現しないで、味わった人に任せています。

    人によって好みがあるわけですから。

     でも、やはりね濃い目とかあっさりとかは書いた方が見てくれた方が選びやすい

    と思います。

     しかし、ですね(パソコンに身を乗り出してキーボードを叩いてます) 旨い! のです。

     この、パウンドケーキは、王道。

     「あ~そうだ、そうだ、この味だ。パウンドケーキは」と思いました。

    

  




  



   ところで、先ほどのカップルが買った、この店の代名詞的な「ロシアンビスケット」ですが、

   戦争中、ここの職人(たしか工事場長)さんが、敗戦後、シベリアに抑留されてしまい、

  その時、パンを焼くのがお手の物でしたから、パンを焼く班に回されたのです。そして、色々と

  当時のロシアのお菓子などを知ったと言うことです。


   爺も父から聞いたものです。

   極寒の中、旧日本軍は抑留され、シベリア鉄道などの土木作業やレンガを焼いたり雪の中で

  の森林の伐採作業などをさせられ、亡くなっていった人も沢山いたのだそうです。

   パンを焼く班に配属されると焼きあがった端っこやクズをかき集めて口に入れることができた

  のだそうです。

   父がどこかで苦労して探したかなり詳しく見られる世界地図を手に入れてきた。

   大きな本でした。

   その地図を開いては満州と呼ばれていた辺りや自分の辿ったルートを小さな頃から地図好き

  だった爺に、よく話してくれたものです。

  


   幸い生きて帰った父は、地図を見ながら時々、窓の外に目をやり遠くを眺めていました。

   今にして思えば、父には言いたくないこと、言えないことなどもあったのでしょう。様々な光景が

  瞼に映っていたのだと思います。

   その証拠に、小さくても爺は、地図を前にして時々、無口になる父を知っていました。


   思えば、太平洋戦争でも多くの人が亡くなりました。しかし、東日本大震災で大切な数多くの

  命が奪われてしまいました。

   まだ、5年前のことです。   

   それなのに、3月11日、インターネットでは、合体する党名の付け方の会議が開かれた

  とあれば一方、その名前の付け方についての批判する党も、とか等々、載ってましたね。

  大丈夫かな~ 日本。 


   しかし、とにかく戦争は、原因が人です。人が人の命を奪ったのです。


   爺は、思う。「人は恋しいけれど恐ろしい生き物なのだなあ~」

   と色々、想いにふけりながらも、

   気がつくと「あれ~」ライムギパンやパウンドケーキをずいぶん食べてしまった。でも、

  父の思い出に包みこまれた時間も多かった。

  

   今日も爺の1日は、良い日だった。