2010年は冒険しました。


不思議と迷わずに行動しました。


慎重派の自分にとっては、久しぶりの大冒険でした。


そしていろいろな人に出会いました。


自分をオープンにすることで癒される部分がありました。


みなさんとの出会いに感謝です。




ブログなどで過去を思い起こすと、いろいろな事が見えてきました。




実は30歳を過ぎた時、自分という人間が「だいたいわかった」と思いました。


うまく行く時、行かない時のパターン。


落ち込んだときの立て直し方。


無理をしない人との付き合い方。


苦手の克服の仕方。




確かにいろんな壁は低くなったけれど、スッキリではない。


40歳を過ぎたとき「自分らしさ」を失っていることに気がつきました。




20代まで必死に守った「自分らしさ」や「好きな価値観」


これがなつかしく、再び大切に思えてきました。




大切にしていた感情をあたためなおそう。


そうしましょう。




本年もどうぞよろしくお願いいたします。



娘が来年中学にあがります。

吹奏楽部に入ると決めていて、いまからワクワク楽しみにしています。




子供のワクワクは親としても嬉しい限りです♪感謝





わたしが小学校6年生のとき。

あれはたぶん、夏休みの登校日だったような気がします。




下校時間の正面玄関の噴水の前で

評判の悪い卒業生のヤンキー姉ちゃんフタリが誰かを待っている様子。


ヤンキーの視野に入りませんように・・・こそこそとビビりながら帰る。




ヤンキー君「おい、お前ちょい待てや」




・・・・わたし??????

あれ、わたしランドセルしょってますよね????





「目つきが生意気」「目立つ」「靴下が派手(笑)」、、、など

いくつかの謂れのない因縁をつけ、「パシャッ」っと頬に平手打ちをし、ヤンキーは帰っていった。

「●中きたら覚えとれや」と捨てぜリフを残し。





絶望五月女風30 ・・・なんで?なんで?なんで?

ビビりだった小学6年のわたしにとっては、大げさでなくそんな感じでした(笑)




その日以来、ブルーな気持ちをしょって最後の小学校生活をおくりました。

親や先生にも言えず。




小学校の卒業式ではいつまでも泣いていた。

だって、卒業したくないw



みんなと別れるのはもちろん寂しい。

でも何よりもあのヤンキー中学生が恐ろしいムンクの叫び(笑)






夢も希望もなく春がやってきてw

中学に上がるとそこは

厳しい規律と、先輩後輩の上下関係に縛られた暗黒の世界でした(w大げさ)




こんなのおかしい。

かっこわるい。

つまらない。



当たり前に居心地が悪く、納得がいかないことだらけです。




わたしのアンダーグラウンド時代の幕開けは

あのヤンキー姉ちゃんとの遭遇がはじまりだったのかもしれませんw




続く

小さい頃、おばあちゃんは週に一度家にくる人でした。


わたしはその日がいつも楽しみでした。





おばあちゃんはお三味線で長唄を教えていて、水曜日は家でお弟子さんにお稽古をつける日です




私は、お稽が終わるとお茶を出す役目だったので、お三味線が止むのを今か今かと待ちます。








お茶を出すと、一緒にお菓子を頂くことができます(笑)




「すはま」や「そば粉のボーロ」「あんこ玉」「かりんとう」などの駄菓子を


お弟子さん達がおみやげに持ってきてくれるのです。



おばあちゃんのお菓子


 ←なつかし~お茶






普段おばあちゃんは、父の会社(鉄筋業)の寮にしているアパートみたいな建物に一人で住んでいて、職人さん達のご飯をつくったりしていました




昼間はモンペ姿で鉄筋を担いだりして、職人さんの仕事を手伝っていました。


子供ながらに「おばあちゃんなのに・・」と心配でした。




水曜日の夕方には会社に戻るので、わたしも時々ついて帰りました


おばあちゃんの住む部屋は、雨風をやっとしのぐ程の粗末な建物で、ちょっとした風でも揺れるほどでした。


お風呂はもちろんないし、一度外にでて会社へ行かないとトイレもない。


すごく不便だったけれど、おばあちゃんと銭湯にいったり、夜一緒にトイレにいってもらうのがうれしくて、不思議とイヤではありませんでした。








小学校3年生のとき、おばあちゃんが家に引っ越してくることになりました。


あの部屋におばあちゃんが一人で住んでいるのは心配だったし、何よりも毎日家にいてくれることがうれしかった音譜






小学生の頃から、料理やお裁縫を教えてくれました


市場やスーパーマーケットにもよくついて歩いて、買い物の仕方を覚えました。


今は弾けないけれど、お三味線も習いました


算数や習字、花札も(笑)






おばあちゃんはタバコもお酒もするし町内会や老人会の役もします。


親戚や近所の奥さんたちの相談にものるし、父の会社の経営のことでもずいぶん頼りにされていたように思います。

父と母のけんか両成敗しました。「あんた(父)も悪いが、あんた(母)もそんないい方では伝わらんぞ」みたいな(笑)



少し大人になってから知ったことだけれど、おばあちゃんは未婚の母で、おでんや小料理屋をしながら、父を育てたそうです。






学生時代、よくおばあちゃんとケンカをしました。リコーダーとかで何度も叩かれたし(笑)

グレたりスネたりして、ずいぶんと心配をかけました。




嫌なこともうれしいことも、おばあちゃんには話した。






そういえば、そんなおばあちゃんも、子供のわたしを相手に「何のために長生きしてるかわからない。早くお迎えが来てほしい。」なんて愚痴を言ってたこともあったな。。

それでもいつも元気なおばあちゃん。






私が高校を出て社会人になった頃、おばあちゃんが温泉旅行から帰って、いつものように旅行の様子をおもしろおかしく聞かせてくれました。




旅行先の庭園で、池の飛び石を渡ろうとして、池に落ちてしまった。


ツアーの若い仲間が「池のばあちゃん」といって親切にしてくれて助かったけど、もうあまり人に迷惑をかけたくないから、旅行はこれで最後にする、と言っていたことを、今もはっきりと覚えています。




それからおばあちゃんはあまり外にでなくなりました。






歯を入れ歯に替えてから、みるみる元気がなくなって、料理の味付けがおかしくなってきて、母は父の会社の仕事をやめて家にはいりました。





わたしがお嫁に行く時、おばあちゃんは「あんたの花嫁姿をみるまで生きていようと思っとったから、感激してばあちゃん涙がでるわ。」と泣いていました。

息子が生まれた時も、本当にかわいがってくれて、こっそり自分のおっぱいを飲ませようとして、母に止められていたこともあったな(笑)





数年後、おばあちゃんは母の外出中に家の中で倒れて動けなくなり、近くの病院で入院することになりました。


それまでも母は、おばあちゃんの介護でいろいろと大変だったようです。


自分で出来ることがだんだんと減り、でも嫁に迷惑をかけたくない、頼みづらい、といった葛藤があったのか、


私達が会いに行くと、「あれ買ってきて」「これをあっちに移動させて」など、毎回頼みごとをされました。


その時母はなにもいわなかったけれど、どんな気持だったのでしょう。




入院生活は4年程続きましたが、母は毎日おばあちゃんの元へ通いました。


わたしも仕事が休みの日は、おばあちゃんに会いたくて病院へいきました。


その間に主人の母が認知症になり、徘徊がひどくなって、おばあちゃんに会いに行く機会が減りました。





それでも、介護や家族関係に悩んだときには、おばあちゃんに話を聞いてもらいに行きました。


頭はハッキリしていたので、「あんたも大変やね。それは困ったね。」と受けとめてくれました。


今思えばわたしの相談は、おばあちゃんを複雑な気持ちにさせてしまっていたかもしれません。





最後に病院に行ったとき、おばあちゃんはベッドで仰向けに寝ていました。

いつもは横向いて寝ているのに。寝顔だけみて帰るときに、ふとこれで会えなくなるような気がしました。





数日後、おばあちゃんが危篤状態と実家の母から電話がありました。


ちょうど主人の母をデイサービスに連れていかなければならず、すぐに駆けつけることができませんでした。





病院に着いた時には、既に息がありませんでした。

でもまだ温かく、わたしを待っていてくれたような気がしました。



おばあちゃんの手を握ってただ涙を流している、初めて見る父の姿。

おばあちゃんが亡くなった日は父の誕生日でもありました。





お通夜やお葬式では、わたしの知らないおばあちゃんの話をいろいろな人から聞きました。





みんなにインパクトを与え続けたおばあちゃん。

ダイナミックで優しく厳しいおばあちゃん。

とても芯の強い人でした。



おばあちゃんが亡くなってしばらくして、わたしのお腹に2人目の子供がいることがわかりました。


そのおかげで、主人の母を数ヵ月間介護施設にお願いすることができるようになりました。

おばあちゃんが、そのように手配してくれたのかな。。。


この子はおばあちゃんの生まれ変わりじゃない!?


その時は、まじめにそう思いました。





その後も、どうしようもなく行き詰まったら、おばあちゃんのお墓に行きます。


「どうしよう・・・」とつぶやくだけなんですけど(笑)




ブログを書いていて気がついたのだけど、わたしはおばあちゃんに感謝の気持ちをちゃんと伝えていない。




おばあちゃんありがとういまでも頼りにしています。