芝のはづれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸も見える。夏といふのに紅葉してゐる楓もあつて、青葉のなかに炎を点じてゐる。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際に花咲いた撫子がつつましい。左方の一角に古い車井戸が見え、又、見るからに日に熱して、腰かければ肌を灼きさうな青緑の陶の榻が、芝生の中程に据ゑられてゐる。そして裏山の頂きの青空には、夏雲がまばゆい肩を聳やかしてゐる。
これと云つて奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るやうな蝉の声がここを領してゐる。
そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……
「豊饒の海」完。
昭和45年11月25日