交響曲第4番はまだマーラーが今日のように広く聴かれていなかった頃にはマーラー入門に最も適した曲であると言われていたことが多かったように思います。

けれども、その後他の曲もさかんに演奏されるようになってくるにつれて、逆にマーラーの全交響曲の中では、どちらかと言えばあまり目立たない存在になってしまっているようです。

また、マーラーとしては異例なぐらいに「単純」「素朴」なように見える面があるだけによけいに何か複雑なものがある、一筋縄ではいかない曲であるといった穿った見方もなされることが多いのではないでしょうか。


本当のところはどうなのでしょうか。


まず、マーラー自身の考えを検証していきましょう。


交響曲第4番についてマーラー自身がどう考えていたかということは、なかなか興味深い問題だと思いますが、そのことを考えるためには次のような事実を押さえておくのがよいだろうと思います。


アルマ宛の手紙(1909年10月6日と推定されています)の中で、

「ニューヨークでは第7番はやらないことに決心した。ここで作曲家としての自分を紹介する最初の曲には第4番がいいと思う。私の音楽をまったく知らない聴衆にとって第7番はあまりにも複雑すぎると思うのだ(大意)」

というようなことを書いています。

実際にはニューヨーク・フィルとの演奏会では第1番をまず真っ先に2回(1909年12月16日、17日)取り上げています。

また、すでに1908年の12月8日にはニューヨーク交響楽団で第2番を演奏していて、第4番を指揮するのは最後のシーズンの1911年1月17日と20日の2回なのですが、ともかくこの手紙からは、マーラーが自分の交響曲の中で第4番が最も親しみやすい曲であろうと考えていたらしいことがうかがえます。


(まだ書きかけ)