さて、交響曲第7番のLPにおける『夜の歌』という表記をめぐってレコードジャケットを挙げながらたどってきましたが、このことを通して明らかになったことをまとめてみましょう。
最初に使ったのが誰かは特定できませんが、1950年代の初めのころに、おそらくはレコード産業に関係した人、あるいはそのごく近くにいた人(たぶんウラニア・レコードの関係者)が使ったものと考えられます。
そして、欧米では60年代に出されたレコード・ジャケットの一部に使われました。ただし、ジャケットに書かれている場合、ライナー・ノートにはまず、「『夜の歌』などという正当性のない副題が時々使われているが、適切なものではない」という趣旨のことが出てきます。
また、念のために書き添えておきますが、この時代まで存命であったマーラーと直接関わった人々、例えば、アルマ(64年没)、ヴァルター(62年没)、クレンペラー(73年没)などが書き残した少なからぬ数の文献には一度も「夜の歌」などという表記は出てきません。
さらに書き添えますと、マーラー存命中に出た初版楽譜に始まり、今日の国際マーラー協会によるクリティカル・エディションまで、この曲のスコアに『夜の歌』という文字が印刷されたことは当然のことですが一度もありません。
つまり、欧米では「夜の歌」という非正統的なタイトルは50年代から60年代にかけて一部の音楽産業関係者によって使われただけで70年前後にはほぼ姿を消したと考えられます。今日でもごく稀に使われているのを見かけることがあります。
それに対して日本では60年代のどこかで使われだしてそれ以来完全に「正式な」タイトルであるかのようにレコード会社やその他の音楽関係者によって惰性で使われ続けてきました。そしてその状態が今日にまでそのまま延々と続いてきているのです。
日本のクラシック音楽に関わる人たちの「商業主義」の現われの典型的なものと断言してもいいのではないでしょうか。それから、言葉の持っている力に対する軽視・無反省の現れということもそこにはあるように思います。
このように正当性のないタイトルを売れ行きのためということで平気でつけてしまうことが日本のクラシック音楽界では当たり前になっています。これこそ故宮下誠先生が問題にされていた「クラシックの死」の一面ではないでしょうか。