1909年6月、つまり、ちょうど100年前の今ごろ、グスタフ・マーラーは、交響曲第9番の作曲に取り掛かりました。 作曲はたいへん順調に進んでいき、ひと夏の休みの間にほぼ全曲の完成に近いところまでいったようです(全曲の清書が終わったのは翌年の4月のことですが)。

 そのような短期間に、あれだけの傑作を作曲することに集中できたのは、この1909年という年が、マーラーの生涯の中でも特に安定した、いろいろな意味で憂いの少ない、静かな年であったからであるようです。

 この交響曲第9番に関しては、「かなり近くまで迫ってきているであろうと思われる自らの死に向き合って」あるいは「自分の死の影におののきながら」作曲した、ということが昔からなんとなく信じ込まれているようですが、実際のところははたしてそうだったのでしょうか。再検討される必要があると思っています。

 例えば、アドルノのような人は、ずいぶん以前にすでに次のように述べています。

「マーラーの第9番に押し付けられた、ばかばかしくてものものしい『死が私に語ること』という言葉は、第3番に関して花々や動物たちが引き合いに出されること(少なくともそれはマーラー本人の心に一度は浮かんだことである)よりもはるかにひどいことで、真実を著しく歪めてしまうものである」(『マーラー』1960)。


 というようなことも含んで、マーラーについてのお話を、昨日、林田直樹さん「カフェ・フィガロ」 にお招きいただいて、させていただいてきました。


 林田さん、柳さん、岡田さん。

 お世話になりました。どうもありがとうございました。


 今回収録したものは、「ブルーレディオドットコム」 の中の「カフェ・フィガロ」 にて、6月23日(火)と6月30日(火)の20:00から配信されます。

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