大往生といってもよい年齢でいらっしゃったし、何となく予感がなかったわけでないのですが、加藤周一先生の死でこれほどに沈んでしまった自分に我ながら驚いています。
でも、そんなことではいけないので、気持をなんとか切り替え奮い立たせるために、最後に直接うかがったお話について書くことにします。
2007年度の「中村真一郎の会」での会長挨拶で「小田実と中村真一郎」について語られた中にある「中村真一郎という人はどういう人か」という部分を引用させていただきます。
「・・・・・・対等の言葉を使うというのは、やはり損得の問題じゃない。そこには、不平等というものはなくて、相手がどんな人でも、有名か無名かというようなことは、人に対して、中村がしかるべき態度を取るときには、重んじない。それは評価の要素のひとつにはならない。これは立派なことだと思います。どういう人に対しても、根本的に平等だということで、もしひとりの学生に対してそうならば、おそらく全ての話し相手に対してもそうだろうと思います。それはとてもいいことではないでしょうか。
これは人を人として尊敬することで、世の中にそうたびたびあることではない。中村真一郎はどういう人物だったかときかれたら、どういう人間でも相手を対等に扱う人であった、と答えたい。」
『中村真一郎手帖3』p.3-p.4より
この加藤周一先生の言葉は中村真一郎先生を語っていると同時に、考えてみると、実は加藤先生ご本人をも的確に語るものになっていると思います。
中村真一郎手帖3
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このときの加藤先生の会長挨拶は『中村真一郎手帖3』の冒頭に収録されています。
『中村真一郎手帖3』はamazonでは在庫切れで高値がついていますが、他のネット本屋さんや実店舗では定価で購入できます。
ここまで書いてきて、そういえば何故すぐに思い出さなかったのかという中村先生の文章を思い出しました。加藤先生ご自身が果たして辞世の歌か句を残されたのかどうかは存じませんが、もしかすると加藤先生の死に対してもふさわしいのではないかと思われるのでここに紹介したいと思います。
「・・・・・・私のような小心者は、慌しい旅立ちに、次つぎに病室に現れる者に言い残すことが気にかかって、気のきいた句など、ひねり出す余裕は到底なかろうと思う。
そこで、日頃のたしなみといえば聞こえがいいが、これも東京生まれの男のせっかちで、思いついたら、明日にでももうお迎えが来るような気になって、忽ち即吟。」
とお書きになって、亡くなる5年ほど前にお作りになった辞世の句があります。
薔薇と百合匂へよみぢの夕影に
そして、「死ぬときは華麗にというのが、老叟の夢なのである。」
と結ばれています。
(中村真一郎『樹上豚句抄』より)
*追記*
私よりかなりお若い(と思われる)ネタ技術者さんが中村真一郎先生の愛読者でいらっしゃって、このたびとてもしみじみと心に響く記事をお書きになっています。どうぞこちら をお読みになってみてください。