ミーチャさんのブログの記事 で本日がショスタコーヴィチの交響曲第5番が初演された日であることを思い出しました。
この曲の普通の意味での名演はミーチャさんが紹介していらっしゃっていて、私もまずはそれらをお聴きになることをお勧めいたします。
それでここではこの曲の最も問題をはらんでいるCDを紹介したいと思います。
ヘルベルト・ケーゲル(1920-1990)指揮、ライプツィヒ放送交響楽団のショスタコーヴィチ交響曲集(5枚組み)に入っているものです。
収録されているのは、第4番、第5番、第6番、第9番、第11番、第14番、第15番です。
それぞれにいろいろなことを言わなければいけない演奏なのですが、それはまた別の機会にということで、ここでは第5番のことだけをお話ししましょう。
批判を恐れたショスタコーヴィチがすでにできあがっていた第4番を撤回して、「社会主義リアリズム」の路線で、より「人民的」なものとして作曲したと、かつては言われていたものでした。
ヴォルコフの例の怪しい書『証言』以来、また、ソヴィエト崩壊以来そのように単純なものではないという考えが一般的になっています。しかしまだまだ実はこの曲の全貌は明らかになっていないのではないでしょうか。
例えば、マーラーとの関係ということも、第4番について言われるほどにはこの曲に関してはあまり言われないように思います。マーラーとの関係については後日ライブドアの方のブログ前島良雄のMahleriana に書くつもりでいます。
そこでケーゲルです。
まさにマーラーです。
お聴きになれば第1楽章から響きが全く違います。
そして衝撃は第4楽章の最後にやってきます。
本当はここでそのことについては書かずにおいて、聴いて衝撃を受けてほしいのですが、そのようなわけにもいかないので書いてしまいます。
鐘が鳴るのです。
もちろんスコアにはそのような指示はありません。
でもケーゲルが付け加えたのです。
この演奏は1986年のベルリンでのライヴです。
ベルリンの壁の崩壊が迫っていた頃のことです。
そして1990年、ケーゲルはピストルで自らの命を絶ちました。
この鐘は何に対する弔鐘でしょうか?
このCDを聴くとそのようなことを考えさせられます。
はっきりとした答えは出ないかもしれませんが、これを考えるための重大なヒントに満ちているのが『カラヤンがクラシックを殺した』(宮下誠・著)です。
ショスタコーヴィチ交響曲選集/ケーゲル
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この第5番と第9番が収録されているCDは一枚ものとしても出ています。
- カラヤンがクラシックを殺した (光文社新書)/宮下誠
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