ronの「只今脳内妄想中」

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芦屋にある谷崎潤一郎記念館、そこにあった黒漆の春琴抄復刻本を手に取り、その美しさに魅せられ、私の中に蒐集の念がうまれた。

これはその後に手に入れたコレクションの数々である。と言っても、世におられるコレクターの方々に比べれば大した物ではない。

ネットを見ても画像があまり無い様なので、興味のある人の手助けが出来ればとの思いもある。

 

 

まずは春琴抄。

 

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黒漆と朱漆。

黒漆は初版本、朱漆は残念ながら復刻本である。

黒漆は今でも出回っているので比較的購入しやすい。ただし、それなりの金額はするし、金額の割りに傷みがある場合が多く、それなりの覚悟が必要になるかもしれない。美本は基本的にないと思っておいたほうが精神衛生上いいだろう。

朱漆は私が調べた限り、初版本は出回っていないと思われる。

図録などには初版の黒と朱が掲載されている。撮り方の問題かもしれないが、朱漆に関しては、初版本の方が美しいように思える。復刻本は光の関係もあるのかもしれないが、朱の上に白っぽい層があるように思える。

黒漆は復刻本の方が美しいかもしれない。というのも、初版は傷みの関係もあるが、下地の荒さが角度によっては見える。それに対して、復刻本は滑らかな表面で透き通るような黒さだったと記憶している。

 

 

内容は「春琴抄」の他に「蘆刈」と戯曲「顔世」が収録されている。

 

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顔世には舞台の絵が載っていて、絵は樋口富麻呂という人が描いた。この方は関西の画家で、谷崎が関西へ移ってから贔屓にした人らしい。

春琴抄には漆本の他、「新版」と「新槧春琴抄」というものがある。新版の出来が気に入らなかった谷崎が、画家の樋口富麻呂に編纂をお願いし出来たのが「新槧」らしい。新版春琴抄の出来は確かに酷い。

 

 

次は「蘆刈」の自筆原稿複製。

 

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「蘆刈」は大好きな作品の一つで、自筆原稿の存在は知っていたが購入まで踏み切れずにいた。

昭和五十九年に限定三百八十部、四万三千円で発売されたようだ。

和装本には欠かせない帙がついており、本はその中におさめる。

原稿を見て初めて知ったのだが、二回に分けられている。

一回目は六十四枚。二回目は四十一枚。計百五枚の作品。

毛筆で書かれたためか、墨が濃かったり薄かったりする。複製なので墨で黒く塗りつぶされた部分は読み取ることが出来ない。本物は、もしかしたら読めるのではないだろうか。

因みに、頁を抑えている右上の文鎮は朱漆の春琴抄復刻本の付属品で、谷崎が愛用したペーパーナイフ型文鎮の複製である。

山梨県立文学館が発行した図録「谷崎潤一郎展 文豪に出会う」の最初の頁にこの文鎮が確認出来る。

 

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たぶん「倚松弾琴」と彫ってあるのではないかと。

松に寄りかかり琴を弾く、といった意味だろうか。

倚松庵の頃の物かもしれない。

「松」は妻の松子さん、「弾琴」は春琴を思わせる。

 

 

次に春琴抄の自筆原稿複製。

春琴抄の自筆原稿複製の存在を知ったのは、とあるブログである。

先にも書いたが「蘆刈」の自筆原稿複製の存在は知っていた。というのも、古書を扱う某サイトで検索すると蘆刈についてはヒットするからである。もちろん、春琴抄についても検索にかけたことはあるが、その時はヒットしなかったので無いものと思っていた。が、とあるブログに行き着いた時、春琴抄の自筆原稿複製が写真つきで掲載されていて衝撃を受け、ほぼ毎日のように某サイトで検索にかけた。

オークションサイトにすら出て来ない、私にとっては幻の一品だった。そして、関西旅行の計画をたて予算を組んだ頃、サイトに出品された。

出品した店は京都だったと記憶している。価格は一万五千円。この時は胸が熱くなったと同時に非常に迷った。思い切って買えなくはないが、生活のことを考えると手を出しづらい。旅行が控えていなかったら即決していただろう。生活をとるか、幻の一品をとるか迷っている間に売れてしまった……。

 

 

落胆は大きかった。円がなかったし縁もなかったのだ。全集があるのだから原稿はいらないではないか、と、自分への言い訳を続けたが逃がした魚は大きかった。

あの時買っておけばという後悔から、毎日のようにまた検索をかけるがヒットしない。朝起きて検索をかけ、夕方に検索をかけ、寝る前に検索をかける。

そんな日々を過ごしているうちに関西旅行へいく。関西から戻ってくれば気もおさまるだろうと思っていたが、むしろ後悔の念が強まった。

その反動も手伝って漆本の春琴抄を買い漁った。

その後も朝夕夜と検索をかけ続けた。正直諦めかけていた。死ぬまでに手に入れられれば幸い、もしかしたら一生手に入らないかもしれない、と。

それが良かったのかもしれない。

検索を続けて三ヶ月以上。「春琴抄 自筆原稿複製」が再び出品されたのだった。

その日も朝に検索をかけたが当然ヒットせず、夕方にただの習慣として検索をかけると、なんとヒットしたのだった。

この時は自分の目が信じられず、もう一度検索をかけた。

間違いなかった。

震える手で商品購入の手続きをする。代金は気にしていなかったが、前回よりも安い八千円だった。

世の中には「引き寄せの法則」というものがある。私も本で、引き寄せの法則を発動したのではないかと思える例に何度か出会ったことがある。今回も多分引き寄せの法則なのではないだろうか。

ジョナサン・ケイナー曰く、「強く想い続けるのではなく、どこかに諦めの気持ちと代替え品でもいいという寛容さを持って、対象から自分の気をそらせた時に自分にピッタリの物が訪れる」と。

まさに最高の機会、願ってもない金額でそれは訪れたのであった。

 

 

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昭和四十五年に五百部限定、当時の価格で二万八千円で発売された。四百字詰め原稿用紙にして計百二十七枚。

春琴抄と蘆刈を比べてみると表装が全く違う。蘆刈は紙といった体裁だが、春琴抄は美しい装飾がなされている。

中身は色の濃さが違う。蘆刈は原稿用紙の枠と墨がどこか薄い印象なのだが、春琴抄はしっかりしている。使われている原稿用紙は共に「倚松庵用戔」なのだが、目に飛び込んでくる印象は春琴抄の方が圧倒的である。色の問題なのかもしれない。

因みに「倚松庵用戔」は谷崎のオリジナルらしい。痴人の愛のモデルになった勢子さんと、弟の終平さんが刷るのを手伝わされたという内容を何かで読んだ記憶がある。原稿用紙に関しては疑問があったので、そのエピソードを知って納得した。

とうとう手に入れた自筆原稿複製は、長い間倉庫にでも眠っていたのかとてつもなくカビ臭く、頁を捲る度に臭いが立ち上りむせてしまう。外で頁を一枚一枚捲ったおかげで多少軽くなったが、それでも気になる臭いである。

 

 

更に「少将滋幹の母」の自筆原稿複製。

 

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小谷野敦さんの著書「谷崎潤一郎 堂々たる人生」によると、「少将滋幹の母」の原稿は土屋計左右という人に寄贈され、昭和三十五年に土屋氏の許可をとって五百部限定、六千円で発売された。計二百五十六枚の作品。

昭和三十五年の谷崎は、病気や恵美子さんの結婚といろいろ物入りだったのではないか。それを解消するための発売だったのかもしれない。

この原稿複製は「春琴抄」や「蘆刈」に比べると倍以上の値段だったけれども、それだけ出す価値はあると思っている。

まず、谷崎が生きている間に発売されたこと。谷崎は製本にも神経を使った人なので、この本も谷崎の指示のもと、谷崎の趣味にそって作られたのではないかと思っている。

そして、谷崎の署名である「潤」と落款がある。署名は印刷ではないのかと思われるかもしれないが、一緒に入っていた谷崎の言葉を信じるならば直筆の署名である。

「潤」の字の裏は、ちゃんと筆の跡が残っている。印刷ではそうならないのではないだろうか。秘書であった伊吹和子さんの著書「われよりほかに」にも、谷崎が一枚一枚署名していく様子が描かれているので、間違いないであろう。

原稿用紙は四百字詰めの「倚松庵用箋」ではなく、升目を排した「潺湲亭用箋」を使用している。

潺湲亭にも「前(さき)」と「後(のち)」があり、年表によると「少将滋幹の母」が書かれたのは「後」の時代と思われる。

画像は出していないが、中には日本を代表する日本画家の安田靫彦の「普賢菩薩」が描かれている。「普賢菩薩」はやや薄く、私の技術ではハッキリと撮ることが叶わなかったので撮らなかった。紙質との関係で認識しづらい。

 

 

他には新しく発刊されている谷崎潤一郎全集第二十五巻。全集はすでに持っているのに何故買うのか。

今回の全集には谷崎の創作ノートが収録されている。妻松子さんや秘書の伊吹和子さんの本を読むと、谷崎の死後、ノートが行方不明になったらしい。ドナルド・キーンさんがコピーを所持しているといった記述や、中村真一郎氏が創作ノートについて書いているといった記述もある。

今回どういった経緯でノートが見つかったのかはわからない。わからないが、創作ノートを読むことが出来るのは有り難い。というのも、谷崎は作品を書いた後はさっさとノートを燃やしてしまう人だったらしく、創作ノートが残っているのも奇蹟に近いのではないかと思われる。

創作ノートには春琴抄のメモまで載っていて涎物である。

欲を言えば、最初に予告された通りの内容だったら懐的には嬉しかった。実は発刊前に収録内容が変更になってしまった。当初、目当ての創作ノートの他に日記も収録されるはずだったのが、創作ノートだけになり日記は来年となってしまった。

商売的には分けた方がいいに決まっているが、貧乏人にはちとキツい。興味程度だったら図書館で借りれば済むだろうが、今となっては趣味になってしまったから諦めるしかない。

 

 

去年で辞めたブログをここ数ヶ月書いているけれども、続ける気はない。数回のブログは、去年最後に掲げた抱負の報告もかねている。叶わなかったものもあるが、実行に移したものもある。

関西旅行はまさにそれで、2015年と16年の谷崎yearは私にとって得るものが多かった。

早いもので2016年も終わろうとしている。今年は特に話題が多かったせいか、あっという間に感じられる。

来年の抱負はいつもと一緒で、「少しでも前へ」である。

 

おわり

三日目。

朝起きて外を見ると雨が降っていた。

朝食バイキングは和食にする。「おばんざい」コーナーがあり、そこから二口分くらいを何種類かとって食す。コロッケは外せない。

食後はもちろんコーヒーである。

部屋へ戻り荷造り。お土産には地酒もあるので宅急便で送る。おかげで身軽になった。

 

 

九時にチェックアウト。

JR線に乗って大阪方面へ向かう。電車に乗って面白かったのは、車内にあるモニター。私が知る限り、東京では入り口の上にモニターがあるのだが、ここでは通路の上に設置してあった。また、ホームの椅子で進行方向を向いて坐るものがあった。これらはなかなか新鮮であった。

芦屋から乗ったときは地上を走っていた電車が、いつの間にか地下に潜り、地下鉄のような雰囲気となる。

十時頃に大阪北詰駅へ到着。地上に出ると雨が降っていたが、折りたたみ傘を携帯していたので助かった。これで荷物があったらと思うとゾッとする。

大阪城北詰なんて書くと、目的地は大阪城かなと思われるかもしれない。確かに候補の一つではあったが、そうではない。

今回やってきたのは、大阪城近くにある藤田美術館である。国宝の「曜変天目茶碗」を所有する美術館らしく、その品が見られればと思って訪問した。

結果として見ることは出来なかったけれど、蒔絵硯が見れたのは良かった。

十一時頃から学芸員さんの解説があるというので、折角だからそれまで待つことにした。待っている間にも来館者はいたけれど、解説の時間まで残っていたのは私ひとりだったので、私が気になった作品を解説してくれることになった。

解説してもらったのは蒔絵硯について。材料、内部構造、保存の問題、作品の鑑賞の仕方、芸術作品を読み解くための教養などなど、大いに勉強になった。

漆についても教えていただく。これは谷崎潤一郎記念館で見た、黒漆の春琴抄の影響である。

私があまりに質問するものだから、十分くらいだった解説時間が三十分近くも教えてもらえた。挙げ句の果てには、学生さんですかと。そんな歳ではないのだけれども。

別れる時に有意義な時間を過ごせたと言ってもらえたので、迷惑ではなかったろうと思いたい。

帰りに図録を購入し、次へと向かう。

 

 

余談だが、十二月十一日まで二子玉川にある静嘉堂文庫美術館というところで、国宝「曜変天目茶碗」が公開されている。

藤田美術館で見れなかった一品である。それを見てきた。

思ったより小ぶりであったが、茶碗の内側の模様が宇宙を思わせる素晴らしい作品であった。

その他には、蒔絵硯が展示してあった。ここの作品は江戸時代に作られた物がほとんどである。江戸時代の作品だけあり保存状態も良い。

藤田美術館の物は室町時代の蒔絵硯で、傷みが進行しつつある状態であった。

こういう芸術品を見、理解し楽しむためには、日本や中国の古典に対する教養が必須であることを痛感する。

 

 

藤田美術館を出ると雨は止み、少し明るくなっていた。

次に目指すのは「なにわ橋」にある大阪市立東洋陶磁美術館。

藤田美術館で行き方を聞いたところ、乗り換えが面倒なので一本で行ける駅まで歩いた方がよいという。近いのかと思いきや意外と歩かされた。雨が止んでくれたのが唯一の救いか。

十二時近くに大阪市立東洋陶磁美術館に到着した。思った以上に立派な建物で驚いた。

ここでは「宮川香山」の特別展が催されていた。

作品はただの焼き物ではない。焼き物に動物が装飾され、見た目が派手である。蟹などの装飾はリアリティがあり、どことなくグロい。それくらい精巧に作られている。

焼き物の表面を削り、そこをねぐらに見立てて冬眠する熊を描いたり、枝にとまる鳥を描いたり、冬の枯れ木や落ち葉を表現したり、見ていて飽きない。

特別展の他には中国陶磁や韓国陶磁もあり、内容盛りだくさんだった。施設があまりに大きく、また展示品の数が多いので、結局ちゃんと見ることは出来なかった。

十四時頃に新大阪発の新幹線に乗らなくてはならず、最後は速読をするかのごとくだった。目算では一時間くらいで見て回れるだろうと思っていたが、時間が全然足りなかった。

特別展の作品は派手だから見た目が面白くわかりやすいけれども、本当の意味で味のある作品は、中国や韓国の陶磁類だったのではないかと今では思う。好き嫌いはあると思うけれども。

 

 

美術館を出ると朝の天気が嘘のように晴れていた。

土佐堀川沿いの遊歩道を歩き淀屋橋駅へ向かい、そこから地下鉄に乗り新大阪へ行く。

新大阪では海外のミュージシャンなのか、外人の集団がホームに居て、その周りをスーツを来た関係者が囲っている。一人がビデオカメラを回し、仲間を撮ったり、新幹線を撮ったり、ファンらしい日本人を撮ったりしていた。その一団とは東京まで一緒だった。

東京駅ではホームに出るために百段近くある階段を使う。上から下りて来る人は居ても、上がる人はまずいないだろう。

私が階段を上がって行くのに釣られてか、後からついてくる人がいたが、根を上げたのか途中で引き返していった。

 

 

こうして振り返ると歩きっぱなしで自分でも呆れる。けれども充実した二泊三日で、あっという間の関西旅行であった。

約九十年前、谷崎潤一郎が歩いたかもしれない道を歩いたかと思うと感慨深い。関西の風景や芸術に刺激され自分の中に一本の筋が入り、作品に向かう姿勢、心構えが変わったように思える。そんな内面の変化ももたらしてくれた旅であった。

 

 

おしまい

二日目。

五時半に眼が覚めるも前日の疲れからか、なかなかベッドから起き上がることが出来ずダラダラとしていたのだが、シャワーを浴びたりしているうちに朝食の時間となる。

 

和食と洋食の二パターンからなる朝食バイキング。

今回は洋食を食べることにした。

バイキングなので好みの物を好きなだけ取っていい。一番印象に残っているのはコロッケ。

ホテルが経営しているお肉屋さんのコロッケで、チェックインした時にコロッケの無料券をもらったのだが、スケジュールの関係で食べることは諦めていた。が、ここでこうして食べることが出来た。お肉屋さんのコロッケだとよくわかったな、と疑問に思われるかもしれない。この時は私もはっきりしたことはわからなかったのが、最終日に係の人に聞いてそうだとわかった。

 

 

九時頃にホテルを出る。

昨日とは違い曇り空で涼しく、歩きたおすには絶好の天気。夕方から雨になるとも言っていた。

 

まずヨドコウ迎賓館を目指す。場所は前日見れなかった滴翠美術館とは芦屋川を挟んだ反対側の地域にある。

芦屋川に沿って迎賓館へ向かう途中、谷崎潤一郎の名作「細雪」の碑があった。細雪の碑は山梨県河口湖の某ホテル近くにもあるらしいが、こちらの方が趣があってよい。

 

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この碑を過ぎると目の前に急勾配の坂が出現する。ライン坂と呼ばれ、ヨドコウ迎賓館の設計者の名からとったようだ。

迎賓館は坂の斜面に沿って建てられた、四階建ての建物で坂の途中に門がある。

門をくぐり敷地内に入ると、表を走る車の騒音が消え、辺りは静まりかえる。

 

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建物が作り出す四角形が絵画の額縁を思わせ、その向こうに見える風景と相まって一枚の絵の様である。

 

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開館前に到着してしまったので、坂で火照った体を沈めつつ芦屋の町を眺める。

 

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中は和洋折衷の造りとなっており味があって見飽きない。

 

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時間に余裕があったならば、もっとゆっくり見ていたかった。

一時間ほどでまわったのでやや駆け足だったけれども、得るものは大きかった。

帰りに、学芸員から聞いた話によると、阪神大震災の影響が今でも残っていて、十一月頃から改修工事を行うかもしれないのだとか。

運がよかったのは、震災前に一度大掛かりな改修工事をしており、それをしていなければ崩れていたかもしれないとのこと。

それにしても阪神大震災の影響がまだ残っているというのにはビックリした。今では東日本大震災が地震被害の象徴のように取り上げられているが、阪神大震災も忘れてはならないことなのだと、改めて考えさせられた。

 

 

 

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次に芦屋川を渡って、昨日見られなかった滴翠美術館へ。

ここでは偕楽園焼という焼き物が展示されていた。青磁色が美しい。常に発色しているようにも見えた。

その他には、本阿弥光悦の作品も素晴らしかった。

昨日見れなかった時点で今日の訪問は迷ったけれども、来て本当に良かった。

書に関する興味を引き出してくださった方へのお土産として、帰りに一筆箋を購入。

滴翠美術館を出るとお昼の時間であった。このまま今日のメイン、旅行の目的の場所、谷崎潤一郎記念館へ向かう。

 

芦屋川に沿って南下。

 

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歩きながらお土産を探そうと思ったけれど、よさそうなお店は見出せず。

芦屋川周辺にて女性が入っていく建物あり。

気になったので、時間があったら戻ってきて覗いてみようと思う。

 

業平橋近辺にあった小さい公園。その中にあった石碑。

 

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見ればわかると思うけれども、三十六歌仙のひとり在原業平の石碑である。

 

『世の中に たえて桜の なかりせば 

         春の心は のどけからまし

 

                      在原業平朝臣』

 

古今和歌集の中におさめられているようである。

古今和歌集といえば谷崎も好んで繙いていたとか。

 

 

業平の石碑があった公園を早々に出て、谷崎潤一郎記念館へ向かう前に見てみたい場所があったので、まずそちらへ向かう。

 

富田砕花旧居。

引っ越し魔である谷崎が出た後、詩人の富田砕花が引き継いだらしい。

 

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ここは谷崎が三番目の妻松子さんと同棲し始めた頃に住んだ家で、谷崎は二番目の妻丁未子さんと離婚していなかったために、表札は「水野」としていたのだとか。当時は姦通罪があったので、見つかったら逮捕されたのだろうか。

谷崎のことだからその辺はぬかりはなさそうで、もし何かあっても上手く手を打って逃げるような気もする。

この家で谷崎は「猫と庄造と二人のをんな」と「谷崎源氏」の執筆をしたとされている。

 

こことは別にもう一つ見てみたい場所があった。

「細雪」の家のモデルとなった「倚松庵」であるが、間の悪いことに今年から改修工事に入っているらしく見ることは叶わなかった。

「細雪」と言えば旅行前に読み返した。

五月頃に上野の根津で開催された「細雪の着物展」を観覧後、今回の旅行に備えるためにもちゃんと読み返しておこうと思った次第。

読み返した作品は他に「蓼喰う虫」と「猫と庄造と二人のをんな」もある。

「細雪」も「蓼喰う虫」もあまり好きな作品ではなかったのだが、今回読み返してその考えを改めた。特に「蓼喰う虫」は三人称の問題なのか、物語世界に入っていけなかったのだけれども、今回は何故か入り込むことが出来た。

「猫と庄造」は何度読んでも面白い。

 

 

いよいよ今回の旅行の目的地、谷崎潤一郎記念館に到着。

 

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門をくぐり中に入る。

感想は……。

期待が大きかったというのもあるとは思う。思うのだが、それにしては何とも。

谷崎潤一郎の記念館なのに、関係のない書道の作品まで展示してあり残念。中を見て回っていたらお客さんに、書の先生ですか、と声をかけられる始末。

運営上、そういうことをしないとやっていけないのだろうとは思うが、これなら根津で開催された「細雪の着物展」の方が、まだ充実しているように思える。

横浜で見た谷崎展とは比べるまでもない。

残念だったが、いい部分もあった。

まず、映像で谷崎潤一郎が見れたこと。

当時の貴重なテレビ番組が流れていたのは良かった。あの映像群が発売されたら迷わず買う。

それから、復刻版の春琴抄。

春琴抄が発表された当時、漆塗りの本が発売された。いわゆる黒漆と朱漆で、記念館にあったのは黒漆の復刻版である。

黒の下地に金文字で「春琴抄」と銘打ってある表面は、妖艶に輝き、手に取ったとき思わず息をのんだ。

これを手に取って以来、私の中にコレクター魂が宿った。

記念館への期待が大きかっただけに落胆ぶりも大きく、帰りの足取りは重かった。

ホテルに戻ろうかと思ったが、踏み止まって土産物探しをする。

 

 

芦屋川周辺で見かけた、女性が入っていった建物。そこを目指す。

来た道を戻っては面白くないので、色々な道を通りながら目指す。帰りは落胆で心が閉じていたせいか、気がついたらJR線を越え、芦屋川まで来ていた。

件の建物に入ってみる。何か面白い土産物でもあればと思ったが、見るとパッチワークの展示室になっていた。

さらに疲れが増した。

 

さすがにヘトヘトになりホテルへ帰るも、土産物のことがどうしても頭から離れず、芦屋の駅ビルへ行く。

これぞ芦屋、という物はなかったがなかなか良い物を見つけた。

ポツポツと雨が降り出す。傘をさす程ではない。

夕食はホテルが経営する洋食屋へ。味はそこそこだったが、一日目に入った店の方が雰囲気としては好みだった。

部屋に戻り行動の記録をつけるがどうも気が乗らない。

二十三時頃にはベッドへ入る。

 

つづく