芦屋にある谷崎潤一郎記念館、そこにあった黒漆の春琴抄復刻本を手に取り、その美しさに魅せられ、私の中に蒐集の念がうまれた。
これはその後に手に入れたコレクションの数々である。と言っても、世におられるコレクターの方々に比べれば大した物ではない。
ネットを見ても画像があまり無い様なので、興味のある人の手助けが出来ればとの思いもある。
◯
まずは春琴抄。
黒漆と朱漆。
黒漆は初版本、朱漆は残念ながら復刻本である。
黒漆は今でも出回っているので比較的購入しやすい。ただし、それなりの金額はするし、金額の割りに傷みがある場合が多く、それなりの覚悟が必要になるかもしれない。美本は基本的にないと思っておいたほうが精神衛生上いいだろう。
朱漆は私が調べた限り、初版本は出回っていないと思われる。
図録などには初版の黒と朱が掲載されている。撮り方の問題かもしれないが、朱漆に関しては、初版本の方が美しいように思える。復刻本は光の関係もあるのかもしれないが、朱の上に白っぽい層があるように思える。
黒漆は復刻本の方が美しいかもしれない。というのも、初版は傷みの関係もあるが、下地の荒さが角度によっては見える。それに対して、復刻本は滑らかな表面で透き通るような黒さだったと記憶している。
◯
内容は「春琴抄」の他に「蘆刈」と戯曲「顔世」が収録されている。
顔世には舞台の絵が載っていて、絵は樋口富麻呂という人が描いた。この方は関西の画家で、谷崎が関西へ移ってから贔屓にした人らしい。
春琴抄には漆本の他、「新版」と「新槧春琴抄」というものがある。新版の出来が気に入らなかった谷崎が、画家の樋口富麻呂に編纂をお願いし出来たのが「新槧」らしい。新版春琴抄の出来は確かに酷い。
◯
次は「蘆刈」の自筆原稿複製。
「蘆刈」は大好きな作品の一つで、自筆原稿の存在は知っていたが購入まで踏み切れずにいた。
昭和五十九年に限定三百八十部、四万三千円で発売されたようだ。
和装本には欠かせない帙がついており、本はその中におさめる。
原稿を見て初めて知ったのだが、二回に分けられている。
一回目は六十四枚。二回目は四十一枚。計百五枚の作品。
毛筆で書かれたためか、墨が濃かったり薄かったりする。複製なので墨で黒く塗りつぶされた部分は読み取ることが出来ない。本物は、もしかしたら読めるのではないだろうか。
因みに、頁を抑えている右上の文鎮は朱漆の春琴抄復刻本の付属品で、谷崎が愛用したペーパーナイフ型文鎮の複製である。
山梨県立文学館が発行した図録「谷崎潤一郎展 文豪に出会う」の最初の頁にこの文鎮が確認出来る。
たぶん「倚松弾琴」と彫ってあるのではないかと。
松に寄りかかり琴を弾く、といった意味だろうか。
倚松庵の頃の物かもしれない。
「松」は妻の松子さん、「弾琴」は春琴を思わせる。
◯
次に春琴抄の自筆原稿複製。
春琴抄の自筆原稿複製の存在を知ったのは、とあるブログである。
先にも書いたが「蘆刈」の自筆原稿複製の存在は知っていた。というのも、古書を扱う某サイトで検索すると蘆刈についてはヒットするからである。もちろん、春琴抄についても検索にかけたことはあるが、その時はヒットしなかったので無いものと思っていた。が、とあるブログに行き着いた時、春琴抄の自筆原稿複製が写真つきで掲載されていて衝撃を受け、ほぼ毎日のように某サイトで検索にかけた。
オークションサイトにすら出て来ない、私にとっては幻の一品だった。そして、関西旅行の計画をたて予算を組んだ頃、サイトに出品された。
出品した店は京都だったと記憶している。価格は一万五千円。この時は胸が熱くなったと同時に非常に迷った。思い切って買えなくはないが、生活のことを考えると手を出しづらい。旅行が控えていなかったら即決していただろう。生活をとるか、幻の一品をとるか迷っている間に売れてしまった……。
◯
落胆は大きかった。円がなかったし縁もなかったのだ。全集があるのだから原稿はいらないではないか、と、自分への言い訳を続けたが逃がした魚は大きかった。
あの時買っておけばという後悔から、毎日のようにまた検索をかけるがヒットしない。朝起きて検索をかけ、夕方に検索をかけ、寝る前に検索をかける。
そんな日々を過ごしているうちに関西旅行へいく。関西から戻ってくれば気もおさまるだろうと思っていたが、むしろ後悔の念が強まった。
その反動も手伝って漆本の春琴抄を買い漁った。
その後も朝夕夜と検索をかけ続けた。正直諦めかけていた。死ぬまでに手に入れられれば幸い、もしかしたら一生手に入らないかもしれない、と。
それが良かったのかもしれない。
検索を続けて三ヶ月以上。「春琴抄 自筆原稿複製」が再び出品されたのだった。
その日も朝に検索をかけたが当然ヒットせず、夕方にただの習慣として検索をかけると、なんとヒットしたのだった。
この時は自分の目が信じられず、もう一度検索をかけた。
間違いなかった。
震える手で商品購入の手続きをする。代金は気にしていなかったが、前回よりも安い八千円だった。
世の中には「引き寄せの法則」というものがある。私も本で、引き寄せの法則を発動したのではないかと思える例に何度か出会ったことがある。今回も多分引き寄せの法則なのではないだろうか。
ジョナサン・ケイナー曰く、「強く想い続けるのではなく、どこかに諦めの気持ちと代替え品でもいいという寛容さを持って、対象から自分の気をそらせた時に自分にピッタリの物が訪れる」と。
まさに最高の機会、願ってもない金額でそれは訪れたのであった。
◯
昭和四十五年に五百部限定、当時の価格で二万八千円で発売された。四百字詰め原稿用紙にして計百二十七枚。
春琴抄と蘆刈を比べてみると表装が全く違う。蘆刈は紙といった体裁だが、春琴抄は美しい装飾がなされている。
中身は色の濃さが違う。蘆刈は原稿用紙の枠と墨がどこか薄い印象なのだが、春琴抄はしっかりしている。使われている原稿用紙は共に「倚松庵用戔」なのだが、目に飛び込んでくる印象は春琴抄の方が圧倒的である。色の問題なのかもしれない。
因みに「倚松庵用戔」は谷崎のオリジナルらしい。痴人の愛のモデルになった勢子さんと、弟の終平さんが刷るのを手伝わされたという内容を何かで読んだ記憶がある。原稿用紙に関しては疑問があったので、そのエピソードを知って納得した。
とうとう手に入れた自筆原稿複製は、長い間倉庫にでも眠っていたのかとてつもなくカビ臭く、頁を捲る度に臭いが立ち上りむせてしまう。外で頁を一枚一枚捲ったおかげで多少軽くなったが、それでも気になる臭いである。
◯
更に「少将滋幹の母」の自筆原稿複製。
小谷野敦さんの著書「谷崎潤一郎 堂々たる人生」によると、「少将滋幹の母」の原稿は土屋計左右という人に寄贈され、昭和三十五年に土屋氏の許可をとって五百部限定、六千円で発売された。計二百五十六枚の作品。
昭和三十五年の谷崎は、病気や恵美子さんの結婚といろいろ物入りだったのではないか。それを解消するための発売だったのかもしれない。
この原稿複製は「春琴抄」や「蘆刈」に比べると倍以上の値段だったけれども、それだけ出す価値はあると思っている。
まず、谷崎が生きている間に発売されたこと。谷崎は製本にも神経を使った人なので、この本も谷崎の指示のもと、谷崎の趣味にそって作られたのではないかと思っている。
そして、谷崎の署名である「潤」と落款がある。署名は印刷ではないのかと思われるかもしれないが、一緒に入っていた谷崎の言葉を信じるならば直筆の署名である。
「潤」の字の裏は、ちゃんと筆の跡が残っている。印刷ではそうならないのではないだろうか。秘書であった伊吹和子さんの著書「われよりほかに」にも、谷崎が一枚一枚署名していく様子が描かれているので、間違いないであろう。
原稿用紙は四百字詰めの「倚松庵用箋」ではなく、升目を排した「潺湲亭用箋」を使用している。
潺湲亭にも「前(さき)」と「後(のち)」があり、年表によると「少将滋幹の母」が書かれたのは「後」の時代と思われる。
画像は出していないが、中には日本を代表する日本画家の安田靫彦の「普賢菩薩」が描かれている。「普賢菩薩」はやや薄く、私の技術ではハッキリと撮ることが叶わなかったので撮らなかった。紙質との関係で認識しづらい。
◯
他には新しく発刊されている谷崎潤一郎全集第二十五巻。全集はすでに持っているのに何故買うのか。
今回の全集には谷崎の創作ノートが収録されている。妻松子さんや秘書の伊吹和子さんの本を読むと、谷崎の死後、ノートが行方不明になったらしい。ドナルド・キーンさんがコピーを所持しているといった記述や、中村真一郎氏が創作ノートについて書いているといった記述もある。
今回どういった経緯でノートが見つかったのかはわからない。わからないが、創作ノートを読むことが出来るのは有り難い。というのも、谷崎は作品を書いた後はさっさとノートを燃やしてしまう人だったらしく、創作ノートが残っているのも奇蹟に近いのではないかと思われる。
創作ノートには春琴抄のメモまで載っていて涎物である。
欲を言えば、最初に予告された通りの内容だったら懐的には嬉しかった。実は発刊前に収録内容が変更になってしまった。当初、目当ての創作ノートの他に日記も収録されるはずだったのが、創作ノートだけになり日記は来年となってしまった。
商売的には分けた方がいいに決まっているが、貧乏人にはちとキツい。興味程度だったら図書館で借りれば済むだろうが、今となっては趣味になってしまったから諦めるしかない。
◯
去年で辞めたブログをここ数ヶ月書いているけれども、続ける気はない。数回のブログは、去年最後に掲げた抱負の報告もかねている。叶わなかったものもあるが、実行に移したものもある。
関西旅行はまさにそれで、2015年と16年の谷崎yearは私にとって得るものが多かった。
早いもので2016年も終わろうとしている。今年は特に話題が多かったせいか、あっという間に感じられる。
来年の抱負はいつもと一緒で、「少しでも前へ」である。
おわり






























