どもです。


唐突ですが、

「大学はとても楽しいところだよ!!」






……と言われて、あなたは最初に何をイメージしますか?






友達と遊んだり、講義終わりにサークルに行ったり、アフターで一緒にご飯食べたり。

なんだかんだ授業には出て、その後バイトに出たり、翌日絶起して一限ブッチしたり、恋人ができたり。




僕が受験生の時に友達と語った大学生活への期待は、概ねこんな感じでした。


そして今周りの友達を見てみると、半数くらいはこの通りなんじゃね?と思います(超適当)



実際の僕は、夏休みまでは商学部ゼミの大量の課題に忙殺されながら何とかバイトで食いつなぐ地獄のような生活だった訳ですが笑


まあ、どれくらい必死にやるかは人によりけりですし、きつさもそこで変わります。

でも正直、昨年の夏の自分に勉強が「楽しい」かと聞いたとしたら、答えに悩んだと思います。



マーケティングを専攻しようと思ったのは就活で強そうだから。流行りの統計学が役に立つと聞いてやってみたりしました。

経営学や会計学も大学の授業っぽくていいなと思ったけど、ピンとくるかと言えばそうは感じない。


そんなこんなで勉強はある程度やったので成績は上位でしたが、疲労困憊で中々サークルに顔を出すこともできず。


先の問への返答はいい所で

「楽しい、よ。多分」

くらいのものだったでしょう。



ある日普通にキャンパスを歩いていたとき、友達に

「顔が死んでるけど、大丈夫?」

と言われた時はかなり凹みました笑










一方で、合格が決まってから、正確には受験が終わってから。

いちばん熱心に取り組んでいたのは、結局は数学だったと思います。



このブログには書いていませんでしたが、やっと受験が終わったというその翌日から、微分積分と線形代数を独習していました。

合格発表までに半分。入学式までに1年生でやる概ね全ての範囲を学習し終える程にはハマり、何か受験勉強で得た手応えとは違うものを感じたのを憶えています。


夏休みが終わる頃には完っ全にのめり込んでいましたし、


その後もガチガチに数学に取り組み、今では2,3つ上の先輩と一緒に数学の自主ゼミをやっても、遜色なく議論に参加できるレベルになりました。


数学のいい所は、学年も所属も「正しいか」の前には一切関係がないところです。


どんなに授業やバイトが忙しくても、サークルに顔を出せなくても、数学の勉強だけは毎日やっていました。



何がそんなに面白いのかと、疑問に思われるかもしれません。

あるいは、大学入試の数学の問題は解いていて面白いものもあるし、そういうことかなと思う人もいるかもですね。



実は、僕が感じている楽しさはそれとは結構異なる訳ですが、正確に説明するとなるとほとんど不可能なのです。




しかし、折角なので1年間僕なりに本気で数学をして感じたそのおもしろさを、ハマりすぎてブログの事などどうでも良くなってしまう(ごめんなさい)程の魅力を。

精一杯、ここで言語化してみようと思います。












数学というのは、「ある集合に構造を与え、その集合の各要素の振る舞いを観察する」行為であると考えられます。


いきなりなんの事かと面食らってしまうかもしれませんが、一般的な例によってこれを説明することが可能です。


例えば、整数という数の集まりを考えてみましょう。ここには、足し算や引き算という「演算構造」が定義できますよね。

それぞれの数はその構造によって、1+2=3と公理体系が与える規則に従ってふるまいます。

また、「2は1より大きく、3は2より大きいので、3は1より大きい」というような、「順序構造」も定義することができます。


整数でなくとも、有理数、実数、でも同様です。


あるいは数ではなく、一般的な集合についても同様に考えることが出来るでしょう。

和集合や共通部分を取るという「演算」と、含む、含まれるという「順序」なる構造が定義できる訳です。


このような集合と構造の組を「空間」と呼びます。

普段入試問題を解く時に描いているようなxy平面には、「2次元ユークリッド空間」という立派な名前がついています笑

2つの実数の組である集合と、三平方の定理で導入される距離という構造が合わさって、空間を成している訳です。







さて。



『何故そんなことをわざわざ考える必要があるのか』


と、そろそろお思いになる頃でしょう笑


それでは、いかに私たちが数学的な抽象化の必要に迫られるのかを体験するため、試しに次の問題について考えてみてください。




問.0以上1以下の実数があり、ここからランダムに実数をひとつ抜き出す試行を考える。各実数を抜き出す確率は同様に確からしいとするとき、「抜き出した数が有理数である確率」を求めよ。






……どうでしょう。分かるようで分からないですよね。



「抜き出した数が0から0.5までの実数である確率」と言われれば、直感的にそれが1/2であると予想できるでしょう。



何が違うのでしょうか。

今の問題を考える時、実は「確率を長さと同一視している」訳ですが──



しかし、「0から1までの実数に存在する有理数を集めた時の長さ」とは、一体何なのでしょうか。

実数も有理数も0から1までの間に無限に存在するというのに、比較可能なのでしょうか。




実数である各点に確率を与えようとしても、上手くいかないことはすぐに分かります。


1点にどんなに小さな正の確率を与えようとも、無限回足せば1を簡単に超えてしまいますし、確率の定義に反します。

かと言って1点に確率0を与えるなら、抜き出す確率は同様に確からしいのだから全ての点について抜き出す確率は0。というへんてこな結論になってしまいます。

(これではそもそもどの数も抜き出すことが出来なくなってしまう、ということです)



このように、確率というのは無限回の操作にとても弱いのです。


この問いに正確に答えられるためには、「位相構造(収束概念の一般化)」と、それを利用した測度論という解析学の一分野についてまず理解する必要があります。


点ではなく、ある良い性質を満たす集合に「長さ」の一般化概念である測度を構造として導入することで、一般的な集合を「測れる」空間を構成することを目的とする分野です。


ちなみに、この測度論の応用として最も有名なのがリーマン積分(高校でやる普通の積分)の拡張概念である、「ルベーグ積分」です。


そしてここで使われる測度論やルベーグ積分などを直接応用したものが「測度論的確率論」であり、金融工学などの幅広い分野に応用されています。


もちろん準備段階として、教養範囲である「微分積分」と「線形代数」、位相構造の理解のための「集合論」と「位相論」も必須です。


ここまでを理解することで、先の問いに答えることが出来るようになる訳です。



どうでしょうか。問題文以外最後まで何言ってんだかさっぱり、だったらすみません。



抽象化の嵐で混乱したかもしれませんが、なるべく一般化した形でひとまとめに扱える理論を構成するということが、どれほど難解なことかがお分かり頂けたかもしれません。



かなり大雑把な説明になってしまいましたが、強いていえば、ここまで抽象化の段階を踏むところが高校数学と大学数学の大きな違いです。


僕の説明力はここで限界を迎えたので、やってみて初めて分かるよ、と匙を投げさせてください笑








『……ところであんた、文系なのにそこまでする必要あるんかい?』












それがですね、バチコリ使うんですよこれが





数学と並行して経済理論もやっているので、しょっちゅうそう思います。



今でもすごく不思議なのですが、なぜ経済学部は文系が主な募集対象なのでしょうか。

気になって夜も眠れませんで、こうしてブログを書いています(嘘)




そもそも経済学というのは数学ひいては物理学の理論を市場で起こる現象に当てはめて説明することが主な守備範囲な訳で。


したがって、そもそも数学の素養がなければ理論の本質を見抜くためのスタートラインにすら立てないわけです。


最低限、先程紹介した教養数学の2分野と集合位相くらいは知っていないといけません。



政治・経済の科目か、あるいはもっと前の高校受験の社会科目で、「需要供給曲線」と名のついたバッテンがあったと思います。


あの交差点がちゃんと存在するという事実ひとつを証明するために、実は経済学が誕生して数百年を要しました。

存在が証明された交差点のことを(一般)市場均衡と呼びますが、証明される以前は今にも増して「経済学は何も言っていない」とdisられる事が多かったのです。


ちなみにその証明は経済学そのものからではなく、先程のルベーグ積分のさらに先の数学である「関数解析」の、ブラウワーの不動点定理によって与えられています。


実は似たような話がゲーム理論にもあって、前定理の一般化である「角谷の不動点定理」が、混合戦略均衡と呼ばれるゲームの収束先の存在を証明しているのです。


さすがに僕はまだここまで勉強したことがありませんが笑





しかしここまで来ると、経済学における数学の重要性にお気づきになられるでしょう。



文系だから数学を使わない、は間違いなく偽です。

少なくとも社会科学ではその実証分析に統計学を多用しますし、経済学に至っては最早その理論の本質が数学そのものとさえ言えるので。



商学と経済学の一番の違いはそこでしょう。

今までの話に一切商売っ気が感じられないのも当然なのです。


経済学は、いかに整合的な形で市場経済を公理体系としてモデル化し、常識的な議論では見抜けない問題点を明らかにできるか、を主眼としています。

例えば、

「経済主体が合理的ならば、すなわち人々が一番‘嬉しい’(効用が高い)行動をとるならば、市場はどのようにふるまうのか」

そして、

「合理的なプレイヤー達のやり取りにおいて、最適な状況に収束させるような制度設計はいかにして可能だろうか」(ゲーム理論)

などのテーマを扱っていきます。

有名な囚人のジレンマは、最適な状況に収束してくれないようなゲームの例のひとつですね。



対して商学は、「この企業が成功した(儲かった)のはこのような取り組みをしたことに拠るだろう」とそれぞれの場合について考察するケーススタディであり、公理体系は存在しません。

……ので、普通に理論の間でガンガン矛盾が起こりますが、特に気にせず「こういう考え方がある」という例をひたすら考え、また編み出していきます。





経済、と名前がついているので何となくお金の話をするのだろうと思い、商学と似たようなものだろうというよくある認識に至るのでしょうが、これはほとんど誤りと言えます。


経済学はいかに儲けるかにはほとんど興味はなく、むしろ「できるだけ儲けようとする人々がある制度下で行動すると市場はどうなるか」を分析することをモチベとして生まれた学問なのです。





さて、ここまで数学の多少の紹介と経済学と数学の関係、商学との違いについて語ってきましたが、本当にここまで経済学部の学生全員がやるのかというとそうではありません。


第一に、経済学と言っても「経済史」や「経済思想」など理論そのものの研究とは無縁の分野も存在します。

また、統計などを用いて実証分析をする応用分野は理論そのものを主眼とはしておらず、むしろ徹底的に経済的因果関係の正しさを追求したりします。これはこれでがっつり数学しますけどね。


第二に、現代の理論経済学が使っている数学のレベルが高度すぎて大体の大学生が挫折する上、普通に単位とって就職する分には知らなくても一切不自由ない、というところがあります。

基礎的な部分(教養数学)は万人に必要ですけどね……


ただ、一橋もその例外ではなく、まともに位相空間論などの抽象数学から理論をやろうとする人は結構少数派です。

他大でもやはり少なそうだなあと友人の話ややっていることを見聞きしていて思います。あくまで想像ですが。




ここで強調しておきたいのは、「そうでない経済学は全て間違いである」とは言っていないということですね。


経済学の3大分野として「ミクロ経済学」「マクロ経済学」「計量経済学(統計と因果推論)」がありますが、それぞれ理論研究が中心として存在するにせよ、その応用分野もかなり盛り上がりを見せていますし、実際面白いですよ。

















──うーん、ここまで必要性ばかり語ってきてしまいましたが、本当に伝えたかったのは役に立つとかいう話ではないんですよね。




ここまで長々とお話にお付き合い頂いた方にはお察しいただけたかもしれませんが、ここまでオタク特有の早口で語ってしまっている時点で相当ハマりこんでいるわけです。



もう、楽しくて楽しくて仕方がない。


就職とか最早どうでもいいし、そんなことよりもただ、ひたすら学んでいたい。


そんな気持ちで居てもたってもいられなくなり、先日商から経済への転学部の申請をした後、口頭試験を受けてきました。

教授2人対自分でかなりプレッシャーを感じましたが、勉強してきたことを聞かれた時は本当にすらすら話せました。


経済学や数学の話。何を勉強しているときが楽しかったのか、どう楽しかったとか。これから何を勉強したいか。


先生方はよく頷いて聞いて下さり、「よく勉強しているね」とお褒めいただいたりもしました笑

多分通ってるんじゃないかな、と感触的には思いますが、どうでしょうね。






こんなにわくわくした感情で学問と向き合ったのは、本当に人生で初めてでした。


何のためとか、究極的には一切関係なく、やりたいから、やる。


何故やるのか聞かれてもちゃんと答えることが出来ないのに、やりたいという事だけははっきりしている。

不思議と、その方がむしろ良いのではないかと思うようになった自分がいます。


「私はこういったきっかけでこう思いこれがしたいと思った」と説明できることの重要性は、したいことをしている時の楽しさに比べれば大したことなんてないし、面倒臭いだけなのです。


(個人の見解です笑)





何かに夢中になれるということがこんなに楽しいことなんだと、大学に入って初めて知りました。



入試対策記事では「社会は捨てて国数英(過激派)」みたいなこと書いちゃいましたが、あらゆる学びには意味があるのだ、ということにも気がつきました。

というより、それを学んでいないことによって新しい気づきのチャンスを失ったこと、そしてそのことに無自覚であることが一番恐れるべき事態なのです。


世界史の勉強も、今となってはめちゃくちゃ楽しいです。点取り合戦のためじゃないから、というのが大きいのかもしれませんが。



とにかく、大学は、夢中になれることを見つける時間とチャンスに溢れた場所です。


けれど、そのチャンスを掴めるかどうかは、どの大学にいてもきっとそれ程変わりません。

結局は自分次第なのです。

事実、講義の履修自体は使う教科書の内容を全て人に説明できるくらい極めれば同じことなのですから。


変わるとしたら、それは先生と周りの人間の能力くらいですが、これらだってサークルの人づてやSNS、メールで問い合わせるなりすればある程度はどうにかなります。


先にあげた数学の自主ゼミもそうですし、今度「多様体論」という幾何学の勉強会合宿をしに奈良県まで行ってきます。

京大理学部をはじめとするガチプロの方々が沢山いらっしゃるようで、とても楽しみです。


そんなこんなで、環境構築は大学によらず割と可能なところは多々あると思います。





大学受験を通して学問的な基礎づけ以外に得た大切なものを挙げるならば、それは「やり切った」という納得感です。


むしろこれに尽きるでしょう。


これだけ頑張った。自分のやりたいをぶつけられた。という清々しさがなければ、大学に入ったところでうだうだしているだけになってしまいます。





思うに入学試験とは、意地の張り合いなのでしょう。


受験生であるあなたは、自分と同じ志のライバルを少なくとも一人蹴落とすことで前に進む、という戦いに挑むわけです。


受験は自分との戦い、というのはよく聞きますが、半分嘘じゃないかと私は思います。


なぜなら、仮に合格枠が残り一つだけになったとして、それを争うのが一番の友人だったとしても絶対に譲れないな、と私は思うので。明らかに競争が受験の本質です。

そんな事ないだろ、と思われるかもしれませんが、開場前は仲良く喋ってたのに片方だけが受かった、なんて話はいくらでもあるはずですから。



これは私がちょうど一年前、二次試験本番前に繰り返し自問自答していたことです。

「これから私は、自分と同じ目標を持ち、それを突き通さんとするライバルの願望をへし折りに行くのだ。その覚悟はあるか」





そうして臨んだ本番では、自分でも驚くほど冷静なままでいられたことを鮮明に思い出します。


きっと、周りに見える奴らをぶっ倒さなければ何も始まらないという事実を直視することも、自分のエゴを試験本番で最後まで諦めずに貫き通すためには大切なことだったのでしょう。



そしてそのエネルギーは、大学生になった今でも、折れそうになる度に私の背中を押してくれています。

「あのとき、あれだけのエゴで突っ張ったのだ。ここで頑張らずしていつやるのか」

















大学は、とても広くて自由なところです。


それは学問の世界も同じで、先人たちの知恵が山のように積み重なっているのを、少しづつ登っては変わる景色にいちいちビックリしながら進んでゆくのは、とても楽しいことです。


きっと、大学とは学問が形になって現れたものなのです。そう思うほど、学問の楽しさと可能性に、私は入学からたった一年で惹かれました。



少し格好つけたことばかり書いてしまいましたが、それぐらい大学生活に期待していいぞ〜、ということも伝えたかったのです。



そしてそのために、ぜひ、「やり切って」ください。


その納得感の先に、自由で楽しい、晴れ晴れとした大学生活が待っています。












実を言うとこの記事は何度も書き直されていて、やっと言いたいことがちゃんと書けたかなと思いホッとしてます。


危うくn回目のお蔵入りになる所でした。



僕なりに今感じている楽しいという思いがどうかあなたに伝わって、「自由で楽しい」大学生活への期待を膨らませられたのであれば、一番の幸いです。





さらに嬉しいことに、今まで書きたかったことが全て書けてしまいました。ので、この記事をこのブログの最終回としようと思います。



今まで読んでくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。


なんだかキリの悪い打ち切り漫画みたいですが、私先生の次回作は経済学か応用数学の論文だといいなぁなんて思います。

ずーーっと先の話になってしまいますけども。


そもそも、経済的時間的困難を乗り越え、ちゃんと大学院の博士課程に「入院」して修了までしなければなりませんからね〜笑


今一番興味があるのは情報幾何学という分野なのですが、果たして未来の自分は何をやっているのでしょうか。


私自身、とても楽しみです。


ところで私、経済学やら数学やら研究するサークルにおりますので(合格者に届く冊子を読めば多分すぐ見つかる)、もし機会があれば新歓やらで遊びに来てくださいね。
















これ以上野暮なことを書かないうちに、さっさと書き終えてしまいましょう。



それでは、これで私の一橋大学受験記及び合格体験記はおしまいです。



2年間、遅々とした更新ペースにここまでお付き合い頂きありがとうございました。


















一橋でお待ちしています!!
















一橋大学への道[完]