角田光代の「空中庭園」を読んでいる。
語り口は軽妙でとても読みやすいけれども、背後を感じさせる何かがある。
いま読み進めていたら
「神さまのつくったものが一番うつくしいんだ」
という
登場人物のセリフに出くわして
あ
似たようなことを、お母さんも言っていたなと思い出した。
いつのことか定かでないが、たぶん春、
天気の良い日、
ちょこちょこと枝葉をいじりつつ庭を歩きながら
「花の魅力は、人工のどんなものとも違う色をしている」ことだ
と確認するような口ぶりで言っていた。
たしかに
どの花の色をとっても、どんな上手い画家でも、限られた塗料の足し算では、本物の色をキャンバスに出すことなんて到底不可能な気がする。
そして、お母さんは続けてこうも言った。
「植物は、手をかけた分だけ、ちゃんと育って花を咲かせる」と。
なんのことはない。
お母さんは事実を述べただけだろう。
他意は、なかったであろう言葉に
他意のにおいをかぎとろうとしたのは
私の心の卑屈さだ。
微笑むだけの自分に対する自信が無かった。
「子供はせっかく手をかけても、上手く育ちはしなかった」
母自身すら気付かない、暗喩のようにも思えた。
だからといって
「どうせ私は期待外れの娘ですよ」と
そっぽを向く諦めの良さもなければ
「もっと理想通りの娘になるからね」と
ひたむきになるかいがいしさも無い私にとって
それは薄く墨を刷いたように
ぼんやりと灰色の膜をつくった。
でも、これで良いのだ。
私は私で、誰の思い描く私である必要など、どこにも無いのだから。
そっぽを向くわけでもなく、理想の鑄型にはまろうとするわけでもなく、ただ認める。
全てがあなたの思い通りでなくたって、現に私はあなたに大切にしてもらってきたのだから大丈夫。
ごめんなさい、と、ありがとう、を繰り返し、繰り返し、少しずつ離れながら
きっと
私たちは大人になっていく。