短編小説【月光酒 抄─香─】⑥ | るこノ巣

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隙間の創作集団、ルナティカ商會のブログでございます。

「で、もう説明は聞いたと思うけど、この【月光酒】は、心に軋みや疲れ、痛みを抱いた人を癒す処や。兄さんは、だから入れた訳やけど──」
 それは、……覚えがない、筈……
 違う、かな…もしかしたら、オレは……
 と、水華さんは柔らかく、微笑んだ。
「チカコさんって、兄さんのどんなお人なん?」
「あっ……」
 言ってから、自分の声の情けないほどの上擦りように驚いた。
 頬が、顔が熱くなった。ぐらぐら、と視界が揺れる。目眩でも、したのか……けど、水華さんの表情が全く変わらないから、そう感じただけ、なんだろうな。
「ち、千佳子は……」
 どうして、忘れていたんだろう。

 千佳子は、中学の頃に出会った女の子だ。
 そう、あの頃のオレは、今と全く違くて、本ばっかり読んでて、だからクラスの連中とサッカーしたり野球したり、ての興味がなかったんだ。別に、成績を重視してたような覚えはないけど、外に出て遊ぶよりは、家で本読んでる方が楽しかったんだ。
 確か千佳子は、中三の、夏休みの少し前に転校してきたんだ。関西から来たから、その喋り方が直ぐに人気になったみたいで、沢山友達を作ってた。
 でも、千佳子自身は本を読むのや映画を見るのが好きで、だからなのかな、オレに声をかけてきた。確か、
『その本、面白いよね』
 だったっけ。あの時読んでた本はとても気に入っていたものだからオレもスゲー嬉しくて、直ぐに話が盛り上がって……そのまま、友達になった。
 千佳子は、そりゃあ他の子達ともよく遊んでたけど、帰りはよく、オレと一緒に帰ってくれて、いつも本の話で盛り上がったっけ。オレはそれまで、映画は殆ど観てなかったけど、千佳子に誘われて行ってみることにした。気に入った。思っていたよりずっと、楽しかった。
 夏休みに入ってからは、よく二人で図書館に行った。開館時間から夕飯の時間まで、まあ殆ど開いてる時間中なんだけど、ずっと色んな本を読んだ。学習室、みたいな個室で、本当はその用途の為の部屋じゃないけど読んだ本の感想を小声で話し合ったりして……あの街にはネカフェも漫喫も無かったし、それ位しか外で本の話をする場所が思いつかなかった。公園じゃ暑いし。 

 不思議なもので、此処に来るまで全く覚えていなかった。それが、思い出した途端にどんどん口から飛び出していく。つい、この間の事のように、記憶が鮮やかに再生されていく。
 水華さんは、穏やかな笑顔のままで、うんうんと頷いてくれている。

「それで、千佳子は一部のダチから、オレと付き合ってるとか噂を出されたりしてたけど、笑って流して、夏休みが開けても変わらず……っ!」
 ──自分の、頬が引き攣るのが分かった。
「どないしたの? 兄さん」
 水華さんの声。心配そうだ。でも、
 ──つい、この間の事のように、記憶が鮮やかに再生されていく──
 だから、忘れてたんだ、
 いけなかったんだ、それは、
 思い出しちゃ、いけなかったんだ
 だって、千佳子は、千佳子はあの時……
 どうしよう、水華さんの顔を見れない、見ていられない
「あ、秋になって、」
 それでも、喋る言葉が止まらない。今更、止められない。
「十月の終わりの日曜日……だったんだ……映画を観た後で、並木道を、二人で歩いてたんだ……道の両側に、紅葉が沢山並んでて、赤い色がとっても綺麗だった……観たばっかりの、映画の感想を、話してたんだ……歩く度に、落ちてる葉っぱがカサカサ云って、赤いのが舞い上がったりして、観た映画にも似たようなシーンがあったから、面白かったんだ」
 一度思い出された記憶は、オレ自身の言葉を追い抜く勢いで頭の中を流れていく。
 やめてくれ──もう、止めてくれ……
「だから、周りなんて、見てなかったんだ、二人とも……」
 後で、誰かが言ってた。車同士の、派手な衝突事故があったって。
「誰かが、悲鳴を上げたんだ……それで、何だろうって見たら、」
 片方の車が、操作不能になったんだろう、ぐるぐる回りながら突っ込んできた。
「目の前に、真っ白な塊が来て、オレ、吹っ飛ばされたんだ……」
 誰かが、悲鳴を上げたのが聞こえた。車かな、木にぶつかったんだろう、凄い音をぼんやり聞いて、
「気がついたら、木の側で引っ繰り返ってた…赤や黄色の葉っぱが、すごく沢山見えたんだ……」
 沢山の人が、知らない人がオレを囲んでた。大丈夫か、とか何か、色色、声をかけてる。
 千佳子は?
 聞いたけど、誰も答えてくれなかった。
「あちこち痛いのがよく分かって、それで起き上がろうとした。そしたら、みんな止めるんだ」
 見ちゃいけない!
 早く隠せ!
 誰かの声がして、手が伸びてきた。
 なんでだよ!
 振り払って、起き上がった。
「黒山の人集り……そう、云うのかな。それが、ざあって割れたんだ。隠せって、言ってたのにな……」
 多分、隠そうとした最中だったんだろう。タイミング悪く、それが真正面に見えた。
 正面の、少し向こうに白い車があった。助手席側の角が、木に思い切りめり込んでて、ボンネットから白い煙を上げていた。
「そしたら、さ…自分の足の辺りが、なんかぬるぬるするんだ……」
 ああ、覚えてる。
 足が、紅い
「紅葉なんかより、ずっと、紅い水……」
 紅い、水溜まり
 どろりと熱くて、
 そのさきに、
 ちかこが