桐野夏生『光源』 | TOMのひまだれ草

桐野夏生『光源』


桐野夏生『光源』

TOMのひまだれ草
<了読・2.25>

この作品は桐野らしいと言えるかどうか(笑)

これは映画を作る人たちの話である。

と言っても、
昨今の若者向けテレビドラマみたいに
ちょっと強気で個性的な連中が集まり、
恋愛あり誤解あり嫉妬あり確執ありケンカあり、
なんだかんだともめ事ばかりで、
一時はかなりヤバい状態にもなるけれど、
少しずつ友情が芽生え、
少しずつ互いの力量を認め合い、
後半はみんなで協力しあって、
最後には素晴らしい作品が出来ました♪

ってなストーリーでは、間違ってもない。

登場人物はどいつもこいつも自己中丸出しで、
この映画を自分の都合いいようなものにしたいと
つまらぬ画策ばっかりやらかして
分裂状態から一歩も進まないってな話である。

まあ、前者よりはずっと桐野らしい話だね。
やっぱこうでなくちゃ面白くない

以下に主要登場人物たちの人物紹介を書くけれど、
これが同時に六割ほどのネタバラシになるんで
そこんとこご了承を。


出資者&プロデューサーの玉置優子。
元々映画業界に身を置いていたが
自作の映画を作りたくて
夫名義のマンションを抵当に入れて
六千万という大金を作る。

ただしこの金額は、
映画の製作費用としては超低空飛行であり
常に予算が優先順位のトップにきてしまう。

しかも興行面で失敗したら
マンションも持っていかれてしまうので
優子が「いい映画を作りましょう」という時は
質の高い芸術作品という意味ではなく
客が入る映画という意味である。

なんとしても売れる映画を作らなければならない
というプレッシャーがのしかかる。
そのための話題作りなどもあれこれやって
他のメンバーの顰蹙を買うこともしばしば。


脚本家&映画監督の藪内三蔵。
映画製作の経験は
大学時代の映画研究サークルだけというドシロウト監督。
この三蔵がなぜこの映画に抜擢されたかというと、
脚本がまあまあだったのと、
低予算だったからというのがその理由の全て。
それでも三蔵は根拠のない自信を持ち、
ドシロウトの青臭い理想論を現場で振り回しては
映画作製のプロたちをイライラさせる。

あのシーンは気に入らないから撮り直したいなどという。
撮り直しのためには
スケジュールを一日余分に取らなくてはならない、
出演者のスケジュール調整もしなくてはならない、
スタッフたちの滞在費も余計にかかる(一応北海道ロケ)、
エキストラも集め直さなくてはならない、
フィルム代だってバカにならない。
それでも、撮り直しすれば劇的にいい映画になる
なんてのならまだしも、
単なる三蔵の自己満足に過ぎない。

周囲はこんな三蔵にイライラし常に否定的な意見を言う。
三蔵は一人になると、
これは俺の映画なんだぞと密かにストレスを溜め込む。


主演男優の高見貴史。
この映画の一番の目玉。
女性ファンに人気絶頂のイケメンアクション俳優。
ただし、本人はもうこの路線は限界だと思っている。
この映画で演技派俳優として脱皮を計りたい。
そのためにも自分が一番輝き
目立つ映画に仕上げなくてはならない。
そんな気持ちで撮影に臨む。

ただし、
映画スターにあり勝ちなワガママ自己中ではない。
出来る限り他のスタッフと協力し
妥協すべきところは妥協し、
それなりにいい映画を作ろうと努力している。

ただし、あくまで自分がスターであり主演である
というプライドは最後まで持ち続けている。


共演女優の井上佐和。
落ちぶれた元アイドル。
30代半ばという今、最後の賭けにと
ヘアヌード写真集を出して再起を計る。
これが優子の目に留まる。
とにかく話題作り第一の優子にとって
かっこうの宣伝アイテムになると思い佐和を抜擢する。

ところが佐和は、あわよくば貴史を押しのけて
この映画で自分が主役になろうとあれこれ主張を始める。
このため現場は大混乱に陥り始める。
さらに佐和は裏からある画策をするのだが…。


カメラマンの有村秀樹。
優子の元恋人。
カメラマンとしては一応一流。
優子の頼みでこの仕事を引き受けた。
監督がドシロウトのため
優子が頼りにするのはこの秀樹だけである。
しかし、スタッフ間でのゴタゴタが
収集のつかないレベルにまで達してしまうと
秀樹は傍観者に徹してしまう。
そして、映画は三流だがカメラワークは一流
という評判さえ取れればいいといった姿勢で臨む。

この秀樹を、佐和が色仕掛けで咥えこむ。
そして秀樹はこの誘惑に乗り、
佐和に都合のいいような意見を主張し始める。


とまあ、こうして書くだけで
どうにもならないようなひでえ現場になっていくのだ。
こういうの、俺はけっこう好きである。
かなりの面白さだった。

ラストシーンをちょっとだけ。
優子が八つ当たりで
相当にキツい毒舌を貴史に向かって投げつける。

この瞬間はかなりムカッときてしまった。
登場人物の中では貴史が一番まともであり、
それに比べれば優子のほうがずっと自己中だった。
優子に貴史を非難する資格などないのである。

しかしその直後の展開を読んで、
ざまあみやがれとつい快哉を叫んでしまった。

ワガママなくせに皮肉や毒舌のキツい女ってのは、
最後に足元を掬われ奈落に突き落とされると
思い切りスカッとするもんだね。

作者の意図がそうだったのかは
よくわからないのだが。


この作品は、いわばドタバタ小説だと思う。
昔々、筒井康隆が確立したあの手法を
現代的な手さばきで書いたように思うのだ。

俺は、
生ぬるいユーモア小説はあまり好きではないが
こういう毒のあるユーモアならOKである。
ただし、
ラストにカタルシスは持ってきて欲しいけどね。

というわけで、
桐野作品は『柔らかな頬』以外は
それほど気に行った作品はなかったのだが、
(一応13作品読んでいる)
これは久々に楽しめた作品だった。

【評価:S】

次回は
司馬遼太郎『国盗り物語 織田信長編(第三・四巻)』