米国大統領選挙。
世界中のFX 参戦者が、同じチャートを見ていて、ほぼ同時に選挙の進捗状況を知ることができて、それに合わせてピョンピョン動くチャートに反応し、観察しているのだなぁ。
何だか感慨深いわ。

とはいえ、今週末まで最終的決着はつかないそうですね。
郵便投票の有効無効を、どう司法が判断するか?
まだまだ相場は荒れそうですね。

ということで、4時間足がいい具合に形成されてUSD / JPY のロングを狙っていましたが、見送ります。

私はギャンブルをしたいわけではないのでね。通常のチャートの動きで、十分月利6%とれるので、あえて不安定な動きの中には飛び込みません。

しゃーないわ。もう少し待つとするか~。笑


·―·―·―·―·―·―·―·―·―·―·―·―·―·―·―·―·―


この「待つ」という態度。
私の性質の正反対に位置するもの、と、昔からずっと思い込んでいた。

どの時代を振り返っても何か興味をそそられるものに直面する度に、
好奇心が抑えられなくて、感覚的に、半ば衝動的に身体が動く。そんな人生だった。

もちろん、それが上手い具合に働き、停滞時期の突破になったこともある。

だから、「待てずとも、行動力があるのが私の長所なのだから、それを生かすことだけを考えよう」と言い聞かせてきた。

のんびり待つのは、夫の方が向いている。
夫婦合わせて、無いものを補い合っていけばそれでよいのだから、柄にでもない事は頑張らない。
本気でそれでよいと思っていたのに…


いつの間にか、私は「待てる女」にメタモルフォーゼしていた。
別に無理してはやる好奇心をドゥドゥ、といなしているのではない。待つ、と決めたら何があっても、自然にフッと待つ空気に身を沈めることができるようになっていた。気がついたらそうなっていた。
これは自分にとって、完全なる変体です。

きっかけはもう書くまでもない。
FX トレードだ。
7年の間、散々鍛えられてきた。時に精神的に経済的に瀕死の傷を負いながらも、
待つことによって得られるリターンの重みとその満足感を味わい知ったこと。これが大きい。

だから、どんな生い立ちや遺伝子、といった、自分ではどうしようもない過去を持っていたとしても「これが私なのだ自分節なのだ」、という思い込みは、その気になればいくらでもひっくり返るのではないだろうか?そう思わざるを得ないのだ。

なんといってもその方が身軽だ。
自分はこういう人間!と、頑なにカチカチに固めた鎧のような意志で守ることにエネルギーを費やすよりも、ずっと心軽やかだ。

あ、でもこれは、その変わらない頑なさをバッサリ否定している訳ではないのです。

あえてそれを選ばない、ということを選ぶのは、
それによってきっと何か、心の均衡を取らざるを得ない、人の目からでは決して知覚できない何かがある、ということ。
他人が無思慮に立ち入ってはならない世界がある、ということ。
変わるをあえて選ばないことも、心のバランスを取るためになくてはならないものであるなら、それは無理に変える必要はない。

でもその状態に、息苦しさをもし感じているとしたなら…

そこはひっくり返すに値する何かが隠れているんじゃないのかな。



そんなことを思う一日です。