コロナ禍前までは多くの観光客を集めて盛大に行われていた太郎坊宮の御田植祭。




初々しい10代の五月女達の不慣れながらもひたむきなお田植え神事が五月の青空に爽やかな一陣の風を運んでいました。




ぎこちないお囃子を唄う者、それに合わせて乗畔に舞う者、わけても泥濘の中、中腰で後退りしながら稲の苗を植え付ける者。重労働だったと思います。




見られていることもあってなのか、恥ずかしそうな、互いに依存し合うが故の覇気や切れの無さを批判する向きもありましたが、私はむしろ手慣れた職業的な立ち振る舞いより、慣れない伝統行事を懸命になぞっている素人っぽさが植えられて行くか細い苗に相応しいような気がして魅力的に映りました。




指先・爪先にまで心を配るプロフェッショナルにはプロフェッショナルの美しさがありますが、衰退した伝統芸能を経験不足はあっても挑戦してくれているだけで感動することもあるのです。




初夏の愛らしい風物詩として定着しかけていた矢先のコロナ禍は残念としか言いようがありませんでした。











あれから今年も。。。

神社の関係者や氏子だけで行われたようです。


あの歓びは写真の中の思い出になってしまうのでしょうか?