働き始めて早3ヶ月目に突入した。

仕事はまだまだだけど、職場と生活リズムには慣れつつある。
満員電車は慣れないけど、これはこの先も慣れる気がしない。

駅に着くと、乗客は各々の方向へ一斉にすごいスピードで歩き出す。
みんな通勤時の歩く速度は尋常じゃなく速い。
ワタシは、同じ方向へ行く集団の中、みんなに抜かされまくりだ。

ビジネスマン達の集団の中、職場へ向かうワタシ・・・
ワタシも大人になったもんだな~と思う反面、
抜かされるたびに、この歩く速度が、この1年旅ばかりしていたワタシと
日本社会との差なのかとも感じる。
その速度に着いていけないのか、はたまた着いていきたくないのか・・・

働き始めて変わった事がある。
家が大好きで、休みの日は一日中家に引きこもっているワタシだったのに
暮らしの中で自然を求めるようになった。

ワタシの職場は、駅と地下で繋がっている。
地下を通った方が間違いなく近道なんだけど、あえて地上の道を歩く。
外の空気や、外の広さを感じながら歩きたいと思うようになった。

夜は夜で、仕事帰り、家の軒先で家に入らず空を見上げるようになった。
雲の動きや星を見ると癒される。
景色の美しさは然ることながら、何も考えない時間がいい。

前の会社の部長が、
「僕は、会社来る時、遠回りして土手沿い通るんだよ。なかなか癒されるよ~」
と言っていたが、今、その気持ちがちょっとわかる気がする。

仕事に不満があるわけじゃない。
どんな仕事をしてもいつもこんな気持ちになるので、病んでいるわけでもない。
(部長はどうだか知らないけど)

ただ、会社の一駒として毎日を繰り返すことに、
足枷を付けられているような重さを感じる。
その日々の対価として給料を得るからこそ暮らせるわけだけど、
一方で何かをすり減らしている気がしないでもない。

ワタシは自然に対して、果てしない広さや飾らないありのままの姿を感じ
憧れ求めている気がする。
そんな自然を感じることで、そのすり減らした何かを埋めているのだろう。

生きるために労働することは庶民の常なのに、
その基本的な労働で鳥篭の中に閉じ込められた気になるワタシは
精神年齢かなり低いよな。ヤバイぞ。

世の大人達のすごさを思い知る。
自分の両親が、家族のために何かをすり減らしてきたかもしれないことを考えると、
感謝で頭が上がらないな。(実際は、上げっぱなしだけど)

ワタシは、基本的に楽観主義者なのだけど、
フとこんなことを感じる瞬間がある今日この頃。


きょ、虚無が来るぞーー!!

逃げろーー!!ギャーー


今のところ、虚無との壮絶な戦いは、6勝2敗2引き分けってとこかな?