ちょうど1年前の今日、おばあちゃんが死んだ。

あっという間の1年間。
痛み止めのモルヒネ?で幻覚を見まくってるおばあちゃんは
よく病室の隅を指差して、

「ほれ、そこに人がいる。そこにも・・・。そこにもっ!!」

めちゃめちゃ怖い。
もちろん、人なんか見えない。

オバア「龍神さま~助けてください!私の名前は○○△△です!!」

ある日を境に「龍神さま」への神頼みが激しくなった。
もともと、おばあちゃんは信心深い。
何教って訳じゃなく、神様と名のつくもの全てを大切にしていた。
でも、龍神さまなんておばあちゃんの口から聞いたことはない。

オバア「サンダル、龍神さまに迎えに来てもらうよう頼んでくれや~」

ワタシ「はいはい。じゃあ、電話したるわ」

   (ピッピッピッと電話するフリ)

ワタシ「もしもし、龍神さまですか?孫のサンダルです。
    いつ迎えに来てくれるんですか?」

   (龍神さまとの架空の会話を繰り広げる)

オバア「ばーちゃんにもかわってくれよ」

ワタシ「はい、どうぞ。明日迎えに来てくれるって言ってるよ」

オバア「もしもし、龍神さまですか?明日、来てくださるんですね。
    ありがとうございます。」

   (繋がっていない携帯を握り締め話すばーちゃん)

オバア「ワタシは耳が遠くて、孫に代わります。
    はい、目印は紙ふうせんですね」

目印は、紙ふうせん???
なんかおばあちゃんカワイイなぁ♪と、ほのぼのしつつ
龍神さまとの電話を切った。

そしてその1ヵ月後、死んだ。

お葬式は、孫からの花に包まれた楽しい式だった。
80歳を過ぎた死なので、不幸な死ではない。
一生懸命生き、天寿を全うしたのだ。
不謹慎かもしれないが、ワタシはお疲れ様のお祝いの心持だった。

でも、さすがに火葬場へ向かうべく、棺桶を閉める時は泣けた。
思い思いの品を棺桶に入れていく。
最後に、待ち時間にみんなで折った紙ふうせんをいっぱい散りばめた。
なんてったって、龍神さまとの待ち合わせの目印だからな。
敵が来たら戦えるように、折り紙手裏剣も何個か入れた。

僧侶が出棺前の読経を始めた。
ワタシは、見納めな生ばーちゃんをガン見していた。
読経終了後、

いとこ1「今、おばあちゃんの写真が笑わへんかった??」

いとこ2「なんかワタシも見た!!」

いとこ3「絶対、笑った!」

笑った写真を見た人が何人もあらわれた。
ワタシは見ていない。
見た人だって錯覚かもしれないし、わからない。
超常現象とか信じてるわけじゃないけど、
ただ、幸せな気持ちでおばあちゃんは逝ったんだと思えて、
とてもうれしかった。

大切なおばあちゃんが死んでから、
死ぬのが前より少しだけ怖くなくなった気がする。

あれから1年。
おばあちゃんのいない時間が1年も過ぎたよ。
あの世で楽しんでる?