友達とたらふくランチバイキングを食べた後、
フラりと通りすがった教会にこんな看板が出ていた。
↓
“クリスマス会 賛美歌とフルート演奏あり
信者でない方もお気軽に”
ミサには少し興味があった。
その上、歌も聴けるし、早速お邪魔することに・・・
信者じゃない者はワタシ達だけだったが、
入るとみなさんにこやかに、暖かく迎え入れてくれた。
賛美歌をあまり知らないワタシだけど、
オンチを気にせず、楽しくみんなで歌った
そこまでは、良かったのだ・・・
牧師さまが、説教の中で『この世界には愛がない』と
言い出した。そして、『信じるものは救われる』と。
なにか違和感があった。
会も終盤になり、牧師さまの説教にも熱が入る。
『目をつむってください』
一同、目をつむる。
『今回、イエス様に接し近づこう(入会しよう)と思われた方、
手を挙げてください。』
もちろん、歌と雰囲気を味わいに立ち寄っただけのワタシ達は
手を挙げない。
『・・・勇気を出して、近づこうと思われる方、手を挙げてください。』
もちろんワタシ達の手は挙がらない。
『なかなかこういう場で手を挙げ難いかもしれませんが、
神様に近づこ・・・(以下省略)』
もちろん挙げない。
『私達は誰もが罪人です。我らを救うためにイエス様はその身を
挺してくださった。そんな神様に近づこうと・・・(以下省略)』
挙げない。
ん??なんかしつこいなぁ・・・
その辺りで、そういや信者じゃない人ってうちらだけやん!!
ということを思い出す。
ワタシ達に向けてのあまりにも執念深く
何度も繰り返される勧誘に、笑いがこみ上げて肩が揺れる。
信者を前に笑うのは失礼すぎるし、かなりの生き地獄。
手を挙げなければ終わらないことを悟り、友達に
『あんた、手ぇ挙げえや~(笑。』
と半笑いで言ってみるも友達はかたくなに拒み続け、
その間も勧誘説教は続く・・・
そしてついに限界。
もうこれ以上笑いをこらえられないという恐怖から、
ワタシが手を挙げた。
それと同時に、説教は終わった。(もー、なんなんよー)
それから、何曲か賛美歌を歌い、
最後に“きよしこの夜”を歌うという。
その時、ワタシは油断していた。
唐突に
『先ほど手を挙げた方、どうぞ一番前の席へ。どうぞ。どうぞ。』
知らぬ存ぜぬ、関係ない振りをしていたら、ベレー帽をかぶった夫人が
『あなた、手をあげましたよねっ』と近寄ってくる。
あんた目ぇ開けとったんかい!と思いつつも、
『いえっ!ここで結構ですのでっ!!』と謙虚を装って拒否るワタシ。
『恥ずかしがらずにねっ!ねっ!』とベレー帽の夫人。
恥ずかしいとかじゃなく、行くと取り返しのつかないような
なんとも言えぬ恐怖を感じたので必死で断るも、かなわない。
ついに、夫人に引きずり出され、最前列へ。
歌い終わり、会がお開きになると同時に夫人の勧誘作戦が始まる。
後方の友達にも違うベレー帽の夫人が張り付く。ひえ~
“歌を聴きに来ただけ”“入る気はない”とか訴えるも、
夫人はへこたれず、パラパラと聖書をめくり夫人オススメの一節を朗読する。
その一節が、これまた『信じるだけで天国へ行ける』とか
そんなのばっか。
牧師さまに続き、オススメ一節のチョイスに違和感。
そもそもワタシがカモだってことはわかっていた。
しかし、夫人の神様を信じる心はステキなものだと尊重し、
名前と年齢は誠実に答えた。
それを、夫人はせっせと紙キレに書き込む・・・ ん?なんだこりゃ??
えーー!!夫人、それ入会希望用紙って書いてる!!
おばはん、なに勝手に書いとんねん!!わりゃー
入会を断固としてお断りし、丁重にお礼を言い、
友達と無言かつ、猛スピードで教会から離れた。
ひとしきり笑った後、違和感について考える。
ワタシは、イエスの生涯を尊敬している。
信者にこそならないが、その身をもって示した教えは
ワタシの心にも伝わってくる。
『信じるだけで救われる』ばかりを繰り返すベレー帽軍団は、
信心深いが故か、布教活動がんばりすぎて麻痺っちゃったんだか、
勧め所を間違えてる上、言葉足らずな気がした。
せっかく聖書を開いてイエスの良さを語るのであれば、
信じることで自分が救われることではなく、
イエスの優しさ、暖かさを語って欲しかった。
そして、牧師さま。
現代は『愛のない世界』でしょうか?
たとえ、罪を犯した愚か者でさえも、
最後まで愛してあげるのがイエスだと
ワタシは思っていました。
キリスト教もいろいろ所属?があると思う。
全てが同じとは決して思わないが、少なくとも、
少し残念なクリスマス会であった。
面白かったけど(笑。
フラりと通りすがった教会にこんな看板が出ていた。
↓
“クリスマス会 賛美歌とフルート演奏あり
信者でない方もお気軽に”
ミサには少し興味があった。
その上、歌も聴けるし、早速お邪魔することに・・・
信者じゃない者はワタシ達だけだったが、
入るとみなさんにこやかに、暖かく迎え入れてくれた。
賛美歌をあまり知らないワタシだけど、
オンチを気にせず、楽しくみんなで歌った
そこまでは、良かったのだ・・・
牧師さまが、説教の中で『この世界には愛がない』と
言い出した。そして、『信じるものは救われる』と。
なにか違和感があった。
会も終盤になり、牧師さまの説教にも熱が入る。
『目をつむってください』
一同、目をつむる。
『今回、イエス様に接し近づこう(入会しよう)と思われた方、
手を挙げてください。』
もちろん、歌と雰囲気を味わいに立ち寄っただけのワタシ達は
手を挙げない。
『・・・勇気を出して、近づこうと思われる方、手を挙げてください。』
もちろんワタシ達の手は挙がらない。
『なかなかこういう場で手を挙げ難いかもしれませんが、
神様に近づこ・・・(以下省略)』
もちろん挙げない。
『私達は誰もが罪人です。我らを救うためにイエス様はその身を
挺してくださった。そんな神様に近づこうと・・・(以下省略)』
挙げない。
ん??なんかしつこいなぁ・・・
その辺りで、そういや信者じゃない人ってうちらだけやん!!
ということを思い出す。
ワタシ達に向けてのあまりにも執念深く
何度も繰り返される勧誘に、笑いがこみ上げて肩が揺れる。
信者を前に笑うのは失礼すぎるし、かなりの生き地獄。
手を挙げなければ終わらないことを悟り、友達に
『あんた、手ぇ挙げえや~(笑。』
と半笑いで言ってみるも友達はかたくなに拒み続け、
その間も勧誘説教は続く・・・
そしてついに限界。
もうこれ以上笑いをこらえられないという恐怖から、
ワタシが手を挙げた。
それと同時に、説教は終わった。(もー、なんなんよー)
それから、何曲か賛美歌を歌い、
最後に“きよしこの夜”を歌うという。
その時、ワタシは油断していた。
唐突に
『先ほど手を挙げた方、どうぞ一番前の席へ。どうぞ。どうぞ。』
知らぬ存ぜぬ、関係ない振りをしていたら、ベレー帽をかぶった夫人が
『あなた、手をあげましたよねっ』と近寄ってくる。
あんた目ぇ開けとったんかい!と思いつつも、
『いえっ!ここで結構ですのでっ!!』と謙虚を装って拒否るワタシ。
『恥ずかしがらずにねっ!ねっ!』とベレー帽の夫人。
恥ずかしいとかじゃなく、行くと取り返しのつかないような
なんとも言えぬ恐怖を感じたので必死で断るも、かなわない。
ついに、夫人に引きずり出され、最前列へ。
歌い終わり、会がお開きになると同時に夫人の勧誘作戦が始まる。
後方の友達にも違うベレー帽の夫人が張り付く。ひえ~
“歌を聴きに来ただけ”“入る気はない”とか訴えるも、
夫人はへこたれず、パラパラと聖書をめくり夫人オススメの一節を朗読する。
その一節が、これまた『信じるだけで天国へ行ける』とか
そんなのばっか。
牧師さまに続き、オススメ一節のチョイスに違和感。
そもそもワタシがカモだってことはわかっていた。
しかし、夫人の神様を信じる心はステキなものだと尊重し、
名前と年齢は誠実に答えた。
それを、夫人はせっせと紙キレに書き込む・・・ ん?なんだこりゃ??
えーー!!夫人、それ入会希望用紙って書いてる!!
おばはん、なに勝手に書いとんねん!!わりゃー
入会を断固としてお断りし、丁重にお礼を言い、
友達と無言かつ、猛スピードで教会から離れた。
ひとしきり笑った後、違和感について考える。
ワタシは、イエスの生涯を尊敬している。
信者にこそならないが、その身をもって示した教えは
ワタシの心にも伝わってくる。
『信じるだけで救われる』ばかりを繰り返すベレー帽軍団は、
信心深いが故か、布教活動がんばりすぎて麻痺っちゃったんだか、
勧め所を間違えてる上、言葉足らずな気がした。
せっかく聖書を開いてイエスの良さを語るのであれば、
信じることで自分が救われることではなく、
イエスの優しさ、暖かさを語って欲しかった。
そして、牧師さま。
現代は『愛のない世界』でしょうか?
たとえ、罪を犯した愚か者でさえも、
最後まで愛してあげるのがイエスだと
ワタシは思っていました。
キリスト教もいろいろ所属?があると思う。
全てが同じとは決して思わないが、少なくとも、
少し残念なクリスマス会であった。
面白かったけど(笑。