ラジオの思い出 | 天草凛太郎のブログ

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人の幸福や不幸は予想のしようがない、だから未知なる人生は面白いし、夢も描ける。

TVがデジタル放送に変わったから便利に なったのかというと、携帯ラジオで気軽にいつも聞けたTV放送も聞けなくなってしまった。昨日も高校野球のラジオ実況中継を外で聞くのに、普段あまり廻す ことのないNHKラジオにチューナーを合わせたが、受信の感度があまり良くなくて音が場所場所で途切れて聞き辛かった。

 かつて田舎で暮らしていた高校時代の頃に、ラジオの文化放送で旺文社の大学受験ラジオ講座を聞いていたことがある。今では考えられないが、真空管ラジオ のチューナーを毎日この放送に合わせるのが大変だった。実は九州地方の西方では、東京から流れてくる日本のラジオ放送の電波より朝鮮放送のほうがよく聞こ えてきていたので、放送の途中で急に朝鮮放送に変わることが多く、講座がよく聞こえず腹が立ってラジオを叩いたりしたものである。

 しかし当時は、このラジオ講座のテキストが唯一頼りになる貴重な受験用の教材でもあった。ラジオから流れてくる五科目担当の各先生方は現役の有名な大学 教授ばかりであった。当時は予備校も塾も近くにはなかったので、ラジオを聞きながら自室で習う講座はなにものにも代えがたい一方通行だが先生との唯一の楽 しみな学習の時間であった。

 今では「宅浪」といっても通用しないが、昔は皆が皆、経済的にも予備校や塾に行けたわけではなくて、大学受験の勉強も誰にも相談することもなく、只ひた すら自室にこもって黙々と参考書と向き合って受験勉強するのも珍しいケースではなかった。寧ろ何としてでも自分の力で難問に取り組むようなところもあり、 自分で調べ上げた結果、実力もそれなりに付いたのではないだろうか。

 話はそれたが、TVをあまり見なかった私の学校時代、真空管ラジオの全盛時代はラジオは本当に必需品で、トランジスターラジオなどは高級品であったこと をよく記憶している。もし文化放送でラジオ講座を聞くことがなかったら、田舎から上京して進学することも考えなかったし、都会の学力レベルにもおそらくつ いて行けなかっただろうと思う。