ナムチャバルワのスクラップブック、完成しました。

1ページA4サイズにいっぱいの記事ではないので中身はスカスカですが、

ぢつに60ページを超えるものとなりました。

こうやって切り貼りしながら、この33年前、リアルタイムでこの記事を読んでいらっしゃった方々はどんな思いで成り行きを見守っていたんだろう…

ここから数年後に、ジュニア向けの本でナムチャバルワという山を知り、無性に憧れを持ったのです。

 

さて、大西隊員という有能な人材を失い悲しみに暮れていたものの、改めて未踏峰に挑む日中合同チーム。これは10月末の記事ですが、その半月後に再スタートを切ることが決定しました。

怪我で離脱していた中国側のエースも復帰、大西さんの分まで頑張ってくれ~

 

 

ところで右側の記事に僅かに見える図から、登山チームのルートを想像して地形図に入れてみた。

前に描いたものとは大きく異なる模様。

こちらも信用はしないでください。

 

 

丸印の数字がデポ(キャンプ地)で、まずは1~2の急勾配を一気に登った後、尾根沿いに頂上を目指す。

6番キャンプ地はナムチャバルワ峰とナイプン峰の間にある鞍部(尾根が低くなったところ)。

ここを最終キャンプ地として断崖絶壁を一気に登るという作戦です。

 

 

雪崩が起きやすい急勾配を一気に通過して尾根に出て第三キャンプ地へ。

しかし前回大西隊員が遭難したあたりで再び雪崩の危険に遭遇し一時撤退。

こうしているうちにも冬がやってくるのである。

 

再び前進。左側の記事、その遭難地点も好天に恵まれて無事に通過し、ナイプンまで進みました。

 

ここから隊員たちが見るナムチャバルワの姿…実物は見たことがないけど、なんか目に浮かんでくるような気がしないでもない。

 

第五キャンプまで進んだものの、そこからは強風に阻まれなかなか登頂アタックに行けない模様。

 

 

この垂直に近い壁にルートを作っていく。

なんかリアルタイムで見ているようなワクワクがある。

 

頂上までもう少しだ。この記事を読んでいた人たちも、間違いなくこの登攀が成功することを信じていたのに違いない。

 

 

しかし、である。

雪崩が幾度となく隊を襲いました。

 

 

困難だからこそ挑むのだというのはシャクルトンの言葉ですが、とにかく手に汗を握る報道が続きます。

 

もはや食糧も燃料も欠乏しつつある危機。11月24日の記事では、これが最終のチャンスだと決めていたのでした。

 

 

 

左側の記事。ついに断念。雪崩が人々を阻んだのです。

先に大西さんが亡くなられたのは残念でしたが、最終アタックで犠牲になられた方がいなかったのは幸いともいうべきか。

 

読売新聞では大きく特集記事を組んでいました。

 

 

この後ついに登攀に成功しているので、この時の断念はルートを開拓した成功への道筋だったと言ってもいいでしょう。

 

スクラップブックをつくりながらナムチャバルワ以外の記事を見ていくと、ほかにも多くの発見がありました。

このブログで紹介している天草四郎のことや家康時代のチェスの駒など。そして他にも面白い記事をいくつか見つけています。

 

皆様もスマホを置いて新聞記事に目を通してはいかかでしょうか。