本日、図書館に行って借りてきた本です。
『源頼家とその時代』
御家人同士が領土問題で訴訟しているところで、地図に一本の線をビッとひいて、
「これがお前らの土地の境界だ」
と一刀両断にする豪快さ、などのエピソードが有名な二代目の将軍頼家。
これが果たして史実なのかは疑問の残るところではありますが、いろいろと二代目としての資質に疑問符がつけられている方ではありますね。
ただ、のちの幕府、足利の二代目義詮、徳川の二代目秀忠と違い、まだ成熟する前に二代目の重責を背負わされている時点で酷評するのは気の毒というもの。
母方の祖父である北条時政と、妻の父である比企頼員の間で、頼家を利用した権力闘争もあり、結果は北条側の勝利となるのですが、そこに至る流れをじっくりと読んでいきたいと思います。
本来なら時政は頼家を利用して義経(頼朝の弟にして養子)を排除したものの、新たな敵である比企一族の登場で頼家も排除するという皮肉な流れになっていたのではないかと。
頼家・比企一族にとっては有力な味方となるはずだった梶原景時を排除していたことが敗因につながったともいえるでしょうか。
頼家は伊豆の修禅寺で風呂に入っている時に刺客が襲撃、抵抗虚しく倒されてしまいました。
子供の頃にこれを読んで、平治物語の義朝とゴッチャになった記憶がありました。また修禅寺は頼家にとって叔父にあたる範頼が最期を迎えた場所でもあります。
源家も一族結束して助け合っていたら、北条氏に鎌倉を乗っ取られることもなかったかもしれません。