『エンデュアランス号漂流』で日本でも有名になったシャクルトンですが、
このニムロド号探検隊については探検誌においてアムンセンとスコットの前座扱い、ほとんど知られていないのが残念。
そこで四苦八苦しながら英語の本を頑張って読んでいるのですが、先週は仕事がハードすぎて帰宅してから読み進めるパワーが残っていなかった。
辛うじて週末のファミレスお一人様読書タイムで数ページ進んだくらい。
チョコレートケーキも値上がりしてる…
スティックシュガーでどこのファミレスかばれてしまった。
さて南極圏の陸地に越冬するための小屋を設営したシャクルトン。
床が寒すぎる!
そりゃそうだ、上陸した島は火山岩がゴロゴロした荒れ地で、平に整地することができない。
そのため床板を敷くと片方は地面に着くが片方は浮いている状態、床板の下は空洞になっているのです。
ここから冷気が入り込み小屋の内部全体を冷やしてしまうという事態になっていたのです。
思い出すのは、実家(マンション)のリフォームの時、マンションの空室になっていた1階の部屋を借りていたのですが、これが超絶寒かった。地面からの冷気がそのまま室内に入ってくるのですわ。
その点自分の家も本来の実家も周りを囲まれているため、下手したら冬でも暖房はいらないレベル。
さらに思い出したのが、明治維新後に宮城から北海道に移住した伊達藩士族の物語でした。
いくら寒冷地の仙台人といっても北海道の寒さは桁が違い、移住した初日から寒さに苦しめられることとなっていたのです。
旧伊達藩の人々の優れていたところは、現地人アイヌの生活をそのまま取り入れたことでした。
床を張ると上記のような理由で寒いから土間のような作りの住居で生活するようになったのですね。
彼らが移住したところが北海道の地名「伊達」になったことは言うまでもないでしょう。
津波で宮城県が被害を受けた時に、北海道伊達市の方々から同族のよしみで多大なるご支援を頂いてきました。
シャクルトンは岩を砕いてまで地面を平らにする力はありませんので、床周辺の隙間から冷気が入らないように壁を作り、さらにポニー用の飼料が入った箱を下に敷き詰めて断熱材にしたようです。
このニムロド号の時も、次のエンデュアランス号の時も、その目的は達成することが出来ず、やはりアムンセンと比べると探検家としては劣る印象ですが、こういった工夫をしっかりする辺りがシャクルトンの非凡なるところ。
ややスケールは小さいものの、間宮林蔵も似たような工夫で樺太を探検しています。
なおエンデュアランス号の時は氷の上に木材を置いただけで寝泊まりですから、そのキャンプの寒さは想像を絶するものがあります。