もはやシャクルトンのニムロド号探検隊から抜け出せなくなった今日この頃。
(全くどうでもいいが、昭和五十年代の新聞によると、太古の日本にはペンギンそっくりの骨格を持つペリカンがいたらしい。)
ディスカバリー号が残したベースキャンプを、ニムロド号の上陸部隊が発見して戻ってきたところまで読んだ。夏に溶けた雪と氷が再び凍りついていた、とのこと。食糧などは品質が保たれていたというから素晴らしい。
この本を読みつつスコットのテラノバ(新世界)号探検(最後の探検)を読み直したら、
ニムロド号で動力橇を担当するエンジニアのデイがいることを確認。
それまでスコット最後の探検は遭難死する5人と「世界最悪の旅」のチェリーギャラード、そしてシャクルトンの忠実な部下となるトーマス・クリーンくらいしか意識していなかったんですよねぇ。
デイはスコットの探検隊でも動力橇を担当し、思うような働きは出来なかったとはいえ、それでも馬の飼料となる草を南極の奥地まで運んでいました。
あらためてニムロド、テラノバ、エンデュアランスそしてオーロラの探検隊のメンバーを確認したところ、スコットの部下からシャクルトンの部下になったものとして、上記クリーンのほかに地味ながらチーザムという人物も出てきました。
しかしチーザムその人はこの探検ではほぼ名前が出ず、忘れられがち。
なおニムロド号で名前が出てその後スコットのテラノバ号探検隊に参加した人物としてプリーストリーという地質学者が出てきていました。
こうして、地味な人たちも別の探検隊で名前が出てくると嬉しい。
ニムロド号で出てきて今度はエンデュアランス号の陰に隠れたオーロラ号に参加するところでは、先日名前が出てきたマッキントッシュとジョイス。ニムロド号では力を合わせてきたこの両者、オーロラ号では対立するとは…シャクルトンの指導力がどれほど大きかったのか、伺える話。
ニムロド号からエンデュアランス号にそのままスライドしたのが、エンデュアランス号で副隊長となるワイルドと画家のマーストン。
やはり歴史って続いてきたものなんだよなあってつくづく思ってしまいました。
ということは、です。
スコットの最初の探検、ディスカバリー号の本も買わなきゃいかんと言うことか。
自分に資金力があれば学生アルバイトを数名雇って翻訳してもらうところでした。
とりあえず自分で出来る範囲で読んでいくしかない。