昭和の新聞記事を見ていると、時々こんな発見があるのです。

義経伝説に関する新聞記事。

 

 

今は流行りませんが、かつては義経が平泉を脱出して北海道を目指し、さらにジンギスカンになったという壮大な物語が語られていました。

 

井沢元彦は「義経が怨霊にならないよう死んでいないことにしたのが始まり」みたいなことを言っていますが、そもそも井沢の妄言などマトモに相手にしてはいけません。

義経は現実に怨霊となって『太平記』にも出てくるし、不死伝説は江戸時代になってから語られたものですから、義経が死んだ時に怨霊信仰などは無関係だったのです。

 

さて。

義経伝説がこうして広まったのは修験者が広めたから、という記事です。

 

義経伝説の世界『義経記』、特に後半は山伏と関係の深い物語となっていて、弁慶が筆頭になって義経の逃避行を支えています。

弁慶のほかにもう一人の法師武者、常陸坊海尊という人物は最後の合戦の前に逃亡し、その後仙人となって義経伝説を広め歩いていましたが、これも常陸坊を名乗る江戸時代の修験者が義経伝説を講談のように話して回ったとみてよいかと。

 

 

『義経北行の記録』という本をかなり前に購入し、これをバイブルに青森から岩手の太平洋沿岸をドライブしたことがありました。

たんに荒唐無稽な伝説、と片付けるのは簡単ですけど、なぜ太平洋岸に義経伝説が広まったのか、それがイマイチ語られていない気がしますね。

 

上の新聞記事は宮古での取材ですが、なぜ奥州街道の盛岡ではなく沿岸の宮古なのだろう。

あらためて義経伝説、調べなおしてみたくなりました。

 

近年はインターネットで調べるという人が主流になっていますけど、ネットにはこうやって誰かが調べたことしか上がってこないのです。

まずは皆様、ネットよりも文献にあたりましょう!!

 

 

意味もなく先週末のチーズケーキ。