アフリカの様子、現代でこそテレビやインターネットなどで知られていますが、そんなものがない時代には我々にとって想像できない世界。
昭和の頃のアフリカのイメージというと未開の人種がサバンナで猛獣と格闘しているとか、下手したら恐竜もまだ生き残っているのでは、くらいの感覚だったのでは。
これが220年前、江戸時代ともなればなおさらでしょう。
ほとんどの人たちにはアフリカが世界のどこにあるのかすら知られていなかった、アフリカの名前すら聞いたことがなかったはずです。
アフリカ西部の陸地から離れたところに浮かぶカナリア諸島。
ここに我らが津太夫さんたちが行ったのが、
その220年前、西暦1803年のことでした。
このサンタクルス・デテネリフェという島に、津太夫さんたちを乗せたロシア船ナジェージタ号は停泊します。
今の暦で10月20-27日のこと。ちょうど今頃ですね。
アフリカに日本人が至ったのは、おそらく最初が天正遣欧使節、その後は記録上で見られませんので、津太夫さんたちが二組目ということになるでしょうか。
支倉常長は中米とヨーロッパを往復だからアフリカまで行ってないし。
中世ヨーロッパでは、このカナリア諸島からアフリカ最西端の西サハラあたりが世界の果てとされていたようです。しかしエンリケ航海王子の時代にポルトガルは南下を続け、ギニア湾を「発見」するに至りました。
遣日使節レザノフの船は世界の文化調査の意味合いも兼ねていたので、博物学者はこの島でミイラと思しきものを購入しています。津太夫さんたちはビビッて近づこうともしなかったとか。
この島では津太夫一行のうち最年少の太十郎だけが上陸して観光を楽しんでいたそうです。のちに太十郎は自殺未遂を図り帰郷後まもなく他界していますので、この時の記録は残らず。非常に残念な限りです。